以前、シェル・シルヴァスタインの「僕を探しに」という絵本を読んだことがあります。内容は「何かが足りない それでぼくは楽しくない 足りないかけらを 探しに行く」、そのためにころがりながら、歌いながら、足りないかけらを探しだしていくというテーマです。具体的には、いろいろな欠片を埋めるためにいろいろな欠片とくっつきますが、そのどれもがしっくりしません。自分の欠片と思っていたものが、違う苦しさに出会います。
そしてようやくぴったりの欠片を見つけて完璧な存在になります。しかしそれもつかの間の喜びで、最期はやっぱり欠片があった方の自分のままでいいと転がり続けていくというような内容だったと思います。
真面目な人や自己評価が低い人は完璧を目指し、自分にできないことを人に求めて苦しんだり、他人にできないことを求めたりして非常に苦しむことがあります。自分の身の丈を超えたことを自他に求めては、どうにかならないかともがき苦しみ転がり続けます。
本来は、完ぺきではないからこそチームが必要なのであり、欠点や欠陥があるからこそ周囲と協力するということが生まれます。しかし根底に自分が完璧でなければならないと思い込んで自他に求める人はその方法を選択せずに自分の努力や能力だけを頼りに乗り越えようとして結局は崩れていくように思います。
この完璧主義の刷り込みは、過信や傲慢さを生み、分を弁えず自他を責め続けるという悪循環に陥ります。自分が完ぺきではないと認めることができない限り、本当の意味で自分の長所や短所を受け容れられず、周囲の人たちの長所や短所も観えることもありません。考えすぎて苦しみ、頭痛ばかりが増えても一向に改善することもなく、もっとも身近にいる協力者にまで苦しみの連鎖を与えてしまっているのを自覚し早々にその刷り込みを手放す必要があるように思います。そのためにはいちいち考えて頭痛ばかりを繰り返す前に、その前提になっている自分の生き方を改善するしかありません。それは具体的には「大きな努力で小さな成果」を積み重ねていくという生き方にすることです。これは鍵山秀三郎氏の言葉です。
「いますぐにできないことは、時間と手間をかけてやる。一人ではできなことは他人の助けを借りてやる。この方法ではできないと思ったら、別の方法を考える。方法も変えないで、一人でできないことを一人でやろうとして、いますぐにできないことをすぐに求めても、それはないものねだりにすぎません。私の人生観は、『大きな努力で小さな成果』を求めていくということです。得られるものはたとえわずかであっても限りない努力を重ねていく。成果が少ないことに甘んじるわけではありませんが、少なさに耐える気持ちが大切だと考えてきました。」
この逆に小さな努力で大きな成果を出そうとするのは、誤っていることはすぐにわかります。それが強いからこそ、できないことを自他に求め、不平不満ばかりを並べては自他を責めて矢印を向け言い訳や文句ばかりを並べてしまうのです。本来は「その成果までのプロセスの努力の価値」が重要であって、それを根気よく継続すれば必ずいつかは成果に辿りつくと信じて日々に精進していくことがもっとも全体にとって価値があるのです。
また同様の話に将棋の羽生善治氏がNHKのプロフェッショナル 仕事の流儀の番組で「プロフェッショナルとはどういう人だと思いますか?」という質問に対して「細かいこと、それをたとえば一日1時間、20年間やれと言われたら大変ですよね。本当のプロフェッショナルとは、そういう努力を続けられる人だと思います」と言っておられました。
このように小さな成果のために大きな努力を惜しみなくできることが、そのままの自分を理解して完全になっていくことであり、自分の欠片ばかりを探しては完璧になろうと思い大きな成果ばかりを求めて探し続けてもそんな欠片は見つからない、もし見つかってもそんなものが本来の成果ではなかったと気づく日が来るのです。
むしろ人はみんな何かしらの欠点があった方がいい、その方が魅力が引き出されていきます。全部悪いところを取り除けば、何の欠点のない人になるのかもしれませんがそれは同時に何も面白くもない人になってしまいます。マジメなのはいいことですが、完璧になることがいいことではないのです。
欠点があるからこそ、仲間にカバーしてもらう。自分にできないからこそ、みんなで力を合わせて乗り越えていく。まさに欠点のままでいい、自分のままでいいという居場所がその人の魅力や持ち味を引き出していくのです。
完璧主義の罠に嵌れば苦しいだけです。コツコツ努力することは自分でできるのならそれだけは続け、自分にできないことは人の助力を受ける努力をすればいいのです。
本来目指している、子どもの憧れる会社、そういう生き方のために自分自身の刷り込みを見つめ直して改善して同様に苦しむ人たちのために貢献していきたいと思います。
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「欠点」というのは、「欠けているところ」という発想です。これは、本来あるべきものがない、不足しているという考え方でしょう。完璧主義も、全部できていることが前提ですから、どうしても「減点思考」になってしまいます。「減点思考」では、すべてがアウトであり、ものごとの本質が見えず、その価値を正しく評価できません。「完璧を求める」前に、「身の丈」という基準を持っておきたいと思います。
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以前高校生の一円対話を見ていた際に、どの学生もそれぞれに個性があり、自分を持っていることを感じました。答えが一つだったら、それ以外は全部不正解ですが、それぞれを認め、認められる関係は自分の学生時代にはなかったことのように思います。遊びがあるくらいがちょうどいいと思うと、今は出来なくとも努力だけは怠らずマイペースに進んで行きたいと思います。
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一般的に「長所」や「短所」という言葉には良し悪しのイメージがありますが、ソフトの「個性のまとめ」でもあらわされるように、確かに長・短にはみえても、観方を転じるとお互いに補い合う意味を感じたりと、そのどれもが全体にとって活かされるものであることを感じます。どう活かせるのかという視点の方で常にものを観ていられるよう、眼差しを磨いていきたいと思います。