何をするかよりも何のためにやるのか

人間には大きく二通りのタイプがあるように思います。それは何かをするときに、何をするのかを考えるタイプ、そして何のためにやるのかを考えるタイプです。前者は、やることが目的であり結果を出すことが大事です。後者は、なぜやるのかが目的であり何のためにやっているのかというプロセスが大事です。もちろん本来は両方とも大切ですが、この順番がどうなっているのかで物事の本質が変わってきます。

この「何のために」ということは、自分自身の初心を確認するものです。例えば、同じ質問であっても何をして働くのかと何のために働くのではその問いの意味が異なります。

何のためにというのは、働くことへの原点でありその気持ちがあればどんな職種であっても仕事であってもあまり影響はないとも言えます。しかしこれを自分と向き合っていなかったら何をするのかが重要であり、業務や職種に依存してしまうことにもなります。もちろん、何のためにと追求していくのなら次第にその人の仕事が本質的になりますから業務も職種も近づいていき気が付けば相応しいものになっています。

つまりは人間を観るのに大切なのは、その人の肩書や立場、結果ではなくその人がなぜそれをするのか、そしてその人が何のためにそれをするのかを確認することです。

それを観ずにしてやっていることだけを見ていたらその人間が本当はどのような人物で何をしたいのかが分からなくなります。そしてこれは当然相手だけではなく、自分自身にも確かめ続ける必要があります。それもまた初心なのです。

初心の確認というのは、お互いに本質的であり続けようとする確認でもあり、人生の方向性を見誤ることがないようにお互いにそれぞれ何のために生きるのか、何のために働くのかを忘れないようにし、その人の本質を観続けて助け合っていこうとする相互理解・相互扶助の道徳の仕組みなのです。

私たちが行う一円対話は、聴福人が本質を問い続け何のために働くのかを忘れないために初心の振り返りを行うのです。人間は、忙しくなりすぐに流されて心を亡くしてしまうと初心を見失います。何のために働くのかを忘れるから、心が疲れてくるのであり、何のために生きるのかを忘れるから好奇心が減退し面白くなくなってくるのです。

常に本質を見失わない工夫こそが、人格を高め人格を磨きます。真実の人たちを守っていくことが子どもたちの未来への偉大な布石になります。

引き続き、何をやるのかではなく何のためにやるのかを発信し続けてこの世の中に本物の価値を伝承していきたいと思います。

  1. コメント

    石切り職人の例がよく挙がりますが、あの話も聞くと何のために働くのかを問われるものです。日々の生活のため、職人として自分自身の腕を磨くため、人を幸せにするため、それぞれに働く目的は異なり、その目的も働く中では育っていくこともあるように感じます。今はまだ出来ないことも、いずれ力がついてくると信じたら、初心を大切にしていくことを改めて大事にしていきたいと思います。

  2. コメント

    「何のために、何をする」というのはセットです。しかし、やり始めると「方法論」ばかりに走ってしまい、目的と手段が入れ替わってしまうケースがよくあります。この「目的」というのは、分かっているようでいて、実際にはよく忘れます。したがって、それを忘れない工夫、いつも思い出す工夫が必要です。心を亡くして初心を忘れないように、常にセルフチェックしたいと思います。

  3. コメント

    子どもが夏休みの宿題に取り掛かっていますが、自分自身を振り返ってみても読書感想文や自由研究など、やることは決まっていましたが目的は知らず、今思えば目的から始まればもっと楽しめたのかもしれません。何のためかを握りやることは変幻自在で柔軟にいきたいと思います。

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