人生の仲間

人間は物事に取り組むときに、「自分事」になっているか、「他人事」になっているかという観点があります。どこか相手の問題で自分にはかかわりがないと線引きしていたら、結局は本質的にその人の問題を一緒に解決することができません。

何かに取り組むとき、それを単に仕事の一つとして捉え、どこか相手がやることになっていて自分はあくまでそのサポートでとうことであれば全体の解決のプロセスをチームで進めることはできないのです。

先日、あるリノベーションの会社の記事を読んでいたらその経営者が「自分が其処に一緒に住む」という覚悟で仕事に取り組んでいるという話でした。その方は、それまではクライアントの依頼に応えるだけで、如何にクライアントにメリットがあるかと考えて仕事をしていたといいます。もちろん、仕事のクオリティも高くお客様も満足してくださっていたそうですが数年後にその建物にいくと結局はその人抱えていた問題は解決もせず、自分が手掛けたものが活用できていないという事実に直面したといいます。

その時、最初はそれは相手に問題があると考えたそうですがそれでも何件も同様の建物を見るにかぎって自分に矢印が向いたそうです。果たして自分は「自分事」であったかという自分への矢印です。どこかビジネスだと割り切って他人事にしていたのではないか、本当の一緒にやっていたかと思うと大きな反省があったそうです。

これは今の世の中の世相を現わしている気がします。結局は何かに取り組むときに自他を分けて一緒にやっていないで相手の問題になっているから自分が提案しているものはあくまでもビジネスとして自分の立場を守るものになってしまい覚悟が決まらないのです。一緒にチームで取り組む覚悟もなく、ただ単に仕事をするだけであれば本質的な問題を一緒に解決に向かって協働したことにはなりません。

こういう仕事は、仕事のための仕事であって人生を一緒により善くしていこうという本質的な関わりはできません。

「自分事」だと思っているかというのは、前提が人生で一期一会に一緒に生きていきたいという「何のために働くのか」という生き方が定まったものであり、それは自他一体の境地で一緒一体に生きていく同志ということになります。自分の人生を懸けて取り組んでいく仕事を一緒にやることはそれ自体が美しく、その結果は単に成功以外の大きな喜びや仕合せがあります。

分けないという生き方、自他事一体として生きていく力には人生の主人公としての力が必要なのです。

今のような自他が完全に分けて考えられているような時代、コンサルティングをする上で決して間違ってはならないのは決して他人事にしないことです。もしもこれが自分の会社だったら、目の前の人が自分だったらと、自分に置き換えることができるからこそ本質的な本物の協業が実現するのです。

人は協力者があるからこそはじめて偉大なことができます。

いい人との出会いが、人生を唯一無二のものにします。一緒に生きていく人生の仲間を大切に人生として関わっていきたいと思います。

  1. コメント

    以前、「手伝う」というスタンスは「他人事」になる、と学びましたが、この「スタンスの取り方」というものは、「生き方」そのものなのでしょう。「自他を分ける」という発想も、結局は「保身」なのかもしれません。「ビジネスの現場」を離れても一緒に生きているか?!そのスタンスを常に確認したいと思います。

  2. コメント

    また遊びたい、また会いたいなどの「また」は前向きな姿勢を表し、深い意味を表していると最近よく感じています。そう思うと、もっと自分に出来ることはないか、自分がその人だったらと考えることも、本当に大切なことだと感じています。何かが進むことよりも、思いやりを大切にしていきたいと思います。

  3. コメント

    他人のことを「自分事」に思える人、他人のことは「他人事」で自分のことは「自分事」と分けてしまう人、そして自分のことすら「他人事」になってしまう人。色々な人がいて様々な状況があるかと思いますが、問われるのは自分自身の生きる姿勢なのだと感じます。子どもが憧れるかどうかの視点で振り返っていきたいと思います。

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