昨日、自然農の田んぼにいくとお米がイノシシに荒らされて見るも無残な状態になっていました。今年は順調に雑草の除草もタイミングが良く行え、収穫を安心して見守っていた矢先の出来事に唖然としました。
普段は入ってくる場所でないため池の水が、この猛暑で干からびていたのかそこから侵入してきたように思います。田の神様の石像も倒され、無残な田んぼの状態に落ち込みましたがこれも自然の姿だと心を転換しています。
考えてみればこの場所は、他には田んぼはなく山の麓に一カ所だけです。野性的なところで雑草も強力で少しでも草刈りを怠ればあっという間に野草や雑草で覆いつくされます。鹿やイノシシだけでなく、狸など野生動物しょっちゅう侵入してきます。そこで農薬も肥料も機械も用いないで自然農を行うのだから、様々な野性の力の抵抗を受けてしまいます。
もう10年以上稲作を実践していますが、ちゃんと収穫できたのは2回ほどで心が折れたことなどはキリがないほどです。その御蔭か、今回もこれだけの被害を受けても立ち直りまた別の対策を考えてみようと前向きに捉えています。自分でもこの自然農の失敗の御蔭で困難に対する免疫がついているのを実感します。
そう考えてみると、収穫というのは決して単なる結果だけではなくその過程において忍耐力や転換力、楽観力など失敗することで備わる力もあるように思います。天が強くしてくださっている、天が育ててくださっていると素直な心もまた育つようにも思います。
自分では大丈夫、安心だと思っていても今回のように油断が隙をつかれることもあります。一晩よく振り返ってみると「兆し」はありましたし手入れもまたしておけばと後悔もありますが自分で決めた初心や求める気持ちは一層強くなり、もっと自分自身が野性の方へと感性を研ぎ澄ませていきたいと感じました。
野性の中で行う自然農法だからこそ、野生側の環境から学び直すこともある。鈍ってしまった自分の感覚や感性をさらに野性に近づけて本来の自然の力を取り戻していきたいと感じます。さらに植物に近づき、より動物に近づき、人間の手の入れ方や関わり方、共存共栄の智慧を学び直していきたいと思います。
この自然の厳しさの中に身を置き、智慧を絞り出したいと思います。
失敗は感情を含めて、自分の中で変化を与える切っ掛けになりますからこの気持ちのままに変化を味わい努力をたのしみたいと思います。
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「うまくいかない」ときの対処法には、二つの方向があります。ひとつは、「そうならないように対抗手段を考えること」、そして、もうひとつは、「そうなっても大丈夫なようにうまく付き合う智慧を出すこと」です。感情的になると、前者を選びがちになりますが、自分の都合を持ち出す前に、「根本的なあり方」を間違わないようにしたいものです。「排除」や「否定」ではなく「受け入れる努力」を楽しめるようでありたいと思います。
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農薬を使っていた土地では、農薬が抜けるまでに少なくとも3年は掛かり、作物もなかなか採れないと聞いていました。当初は動物たちの脅威をあまりなかったように思いますが、時と共に課題も変わってきていることを感じます。この酷暑は動物たちにとっても危険レベルではないかと思うと、あの畑は動物たちにとっては、オアシスなのかもしれません。他のことでもそうですが、徐々に課題が変わって難しくなってきますが、それでもコツコツ積み重ねていく姿勢を見習っていきたいと思います。
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初心や目的が定まっているからこそ結果よりも経過の中に意味があることが感じられるのだと現実に向き合う姿から教えていただくかのようです。以前、福に転じるチカラとして「福筋」を鍛えようという話がありましたが、努力を楽しむということがそのトレーニングになるように思えます。聴福人という生き方から、全ての機会に深い意味があるものとして物事をよく観て感じとっていきたいと思います。