人は初心を忘れずに実践をし続けることで道を歩んでいくことができます。道には終わりがないように実践にもまた終わりはありません。実践も日々である理由は、道を歩くのと同じで少しずつでも歩き続けていたら前進していくからです。もしも歩くのをやめたり、休憩ばかりして歩まなければそれが十年、三十年、五十年という歳月が経ったときには遠大な差になっているからです。その差は人生の本質に影響を与えます。
人間は何度も生まれ変わります。その生まれ変わりは、先祖から今に至るまで数百年数千年、数万年、それ以上の歳月をかけて歩み続けてきた道です。人類の成熟に向けてどこまで自分がその道をつなぎ歩んでいけるかは、それぞれの人生に課せられた偉大なテーマであろうと思います。
よく仕事と人生と分けないことを、実践を通して語りますがこれは分けることで本質が失われてしまうからです。これは仕事、これはプライベートを分けるのは自分の知識であり、本来はどれも人生なのだからどれだけ本気で人生を生き切るかということになります。
もしも初心があり日々を歩んでいくのなら、分けずに何でも来たものを選ばずに今に集中して今を生き切ることが必要です。言い換えればそのどれにも必死になって努力し楽しむ人生を歩んでいくということです。
人生の時間は誰にも平等で、その人生にはいつの日か終わりが来ます。そして今一緒にいる仲間やパートナーや縁者たちとのお別れの日が必ず訪れます。今しかできないこと、人生としてやり遂げておきたいこと、そのどれにも妥協せず、言い訳せずに、これも人生であると言い切れるように日々を実践で彩っていきたいものです。
いつ死んでも悔いのない生き方の中に、真心の日々があります。
子どもたちのためにも真心の日々を磨いていきたいと思います。
コメント
「一日は一生の縮図である」と言いますが、ここにはいろいろな要素があります。「真心、誠実、正直、忍耐」といった徳目もあれば、「妥協しない、逃げない、言い訳しない」といった姿勢もありますが、欠かせないのは「楽しむ、味わう」という「いのちの使い方」であり「いまの生き方」です。今日もこの「いのち」を生き切りたいと思います。
コメント
日々起こる内容を書き留めておくことで、いつか記録としても残り、自分自身の振り返りにも繋がります。どう歩んで来たかは、いずれそこを辿る際の一つの道筋となるかもしれません。使命をもって今出来ることに力を尽くしていきたいと思います。
コメント
「主人公」とはもともと禅から出た言葉で「立ち返るべき自分本来の姿」のことだと言います。もし何かで分かれている状態があるとしたら、それは本来の姿とは違う状態になっているということかもしれません。それぞれがあるがままの姿でいることが出来る関係性を日々に大事にしていきたいと思います。