昨日は、聴福庵にある犬矢来(いぬやらい)に柿渋を塗り込み掃除や手入れを行いました。この犬矢来は、駒寄せとも呼ばれ本来は馬が家の塀を蹴ったり犬のオシッコなどで汚れるのを防ぐというという目的があったようです。木で格子を組んだ型・丸竹を数本並べた型・割竹を並べた型などの様式もあるといいます。竹が曲げてある形は滑って壁を登れないことから泥棒の侵入を防ぐ効果もあったようです。
京都にいけば町屋が並ぶ通りにはこの犬矢来や駒居がならび独特な日本の和の風情を醸し出します。先日は、離れの犬走りを玉砂利で敷き詰めましたが同じ「犬」の字がつくこの犬矢来は、犬を追い払うやらう(やらい)という意味で、駒居は馬を寄せるという意味からできた言葉です。現在では雨垂れが飛び散り家の壁を汚したり腐食したりすることを防ぐ効果からも用いられます。
この犬矢来を聴福庵に取り入れるキッカケになったのは、聴福庵は町家づくりのためその原点になっている京都の町家建築を学び直すでその美しさに惹かれたからです。京町屋にある壁伝いに巡らされた駒寄せや犬矢来のある美しい町並みをみていたらその街並みの調和に感動したからです。そこに竹の清々しさや柔らかさ、そして町全体の暮らしを感じることができたからです。
現在では竹製品は少なくなってきましたが、むかしは物が不足していた時代の無限の資源として短期的な成長力があり生産性がもっとも高かった「竹」を暮らしの中で十分に活かすことを考えて竹を用いました。このことからむかしは日本の家の中外のほとんどに竹製品が彩られていたのです。
聴福庵も箱庭には竹垣や観音竹を、側道には黒竹や黄金竹を、玄関には京都の竹を用いた犬矢来、厨房の天井には年代物の煤竹、花籠、竹団扇、竹箸、それに火吹き竹や竹炭装飾に至るまで家の中はあらゆる竹に関係しているものが活動しています。
よく考えてみれば日本人の風情の中に「竹」は欠かせない存在です。それは日本の気候風土が湿度が高く水気が多く腐りやすいからです。その点、竹は水に強く丈夫でいつまでもしなやかに経年変化の中で長持ちする特徴があります。
現在グローバリゼーションや資本主義経済優先の中で、大量生産大量消費して世界中どこでも同じものを安く使い捨てする世の中です。本来の気候風土に合ったものを捨て、プラスチック製品や安易に製造できる化学製品を買い求めます。しかしそのことから、無駄を生み出すだけでなく風土の中で豊かに生きる智慧や風情をも捨てていきます。
生きていく仕合せの中心は、暮らしがあることです。暮らしがない人生は味気もなく、無機質なロボットのようになってしまいます。本来の人間として与えられた感性や地球や自然と一体になる喜び以上に豊かなものはありません。
引き続き子どもたちに、譲り遺していきたいものを丁寧に治し、そして活かし、温故知新していきたいと思います。
コメント
昔から犬と暮らして来たと聞いたことがありますが、ここでも「犬」が入っていることを感じ、知らないだけでもっと調べたら他の動物たちの名前も入った道具もあるのかもしれません。干支は時を表し、動物たちとの暮らしという側面からも深めることが出来そうで、新たな視点をもって学んでいきたいと思います。
コメント
日本家屋は、その全体性だけでなく、あらゆる部分もほんとうに美しいものです。機能的であるだけでなく、素材も色も形も、すべてに「美」を感じます。このような暮らしのすべてにおいて手を抜かず、きちんと手入れをする生き方が、日本の「風情」を保ち、暮らしに「潤い」を与えていたのでしょう。日本人の暮らしの豊かさ、その品格の高さを再認識しておきたいと思います。
コメント
竹と言えば思い出されるのは、小学校の頃に行った伝承遊びというものの中で制作した「竹とんぼ」や「水鉄砲」です。竹を火であぶり柔らかくなったところを曲げていったりと、木とはまた違う感覚に不思議を覚えました。よく飛ぶ竹とんぼや強力な水鉄砲は憧れでもありましたが、そんな子どもの頃の感覚が素材の親しみに繋がるようにも思えます。様々な竹製品も、もとは遊び心から生まれてきたのかもしれません。