旧長崎街道にある聴福庵の近くには、土蔵造りの古民家がまだいくつか遺っています。この土蔵造りのある街道の街並みは圧巻ですが、今ではその街道も廃れ街並みも大きく崩れてきています。現在では、便利になり住みにくいといわれる古民家も少し前までは暮らしやすい家として重宝されていました。
その一つに、この土蔵造りがあります。
この土蔵造りを辞書で調べると「建物の外観が土蔵のように大壁(おおかべ)で塗り籠(こ)めて、柱などの木の部分を露出しない造り方をいう。耐火性があるため、近世以降は土蔵だけではなしに町家の店舗にも用いられた。壁は柱の外側に間渡(まわたし)を打ち付けて塗られる大壁となるため、大壁造ともいう。また、近世の町家にあっては、一階部分は柱を露出するが、二階は土蔵造とし、窓の格子や軒裏の垂木(たるき)も塗り籠めたものを塗屋造(ぬりやづくり)という。江戸時代末期には、とくに耐火性を考慮して壁を厚くして、窓にも土扉をつけ、一見土蔵風にみえる店舗がつくられる。これを店蔵(みせぐら)とよび、土蔵造の典型的なものである。」(日本大百科全書の解説より)
先日、ご縁があった近隣の古民家はこの見世蔵様式で建てられています。この見世蔵とは、江戸期からの商店建築様式のひとつで土蔵つくりですが用途は蔵ではなく店舗として利用されてきました。外見も妻入りではなく桁方向を前面開口し、たたきと畳座敷で構成され、その2階には座敷があります。
この見世蔵の魅力は、漆喰の清涼感と見た目の重厚感です。1階部分は格子戸が設けられ外から中が覗くことがことができるようになっています。土間がある1階部分で商売をしたり、人が往来したのがわかります。本来の土蔵に比べたら火災の際の耐火性能は劣っても土壁でできているので夏の湿度が低くて涼しく感じられ木造住宅よりは耐火性能が高く火事に備えたのがわかります。
この聴福庵のある地域は、150年前に火災がありこの街道沿いの建物はほぼ全焼したということを聞いたことがあります。その時の教訓から土壁造りにしたのかもしれません。
改めて古民家を深めれば、なぜこの建築様式になったのかなどを調べていると歴史的な情緒を感じます。当たり前に疑問を持たない日常の些細な歴史的な建造物も、その意味や理由を考えてみればそこには浪漫があります。
引き続き、ご縁を辿りながら日本の文化を深めてみたいと思います。
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通り沿いにいくつもの古民家や蔵が並ぶとやはり雰囲気を感じます。そして、今でも150年前と変わらない姿で見られていることに驚きを感じます。大きな竃で炭でご飯を炊いてもビクともしないのを見ると、いかに耐火性があるかということも感じ、身の回りにあるものを活かして暮らしてきたことが分かります。人を守り、家族を守るために変化し続けていると思うと、歴史の奥深さやそこに先人からの生きるためのメッセージがあり、その教えを大事にしていきたいと思います。
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昔は、土蔵に家財や商品など大事なものを保管して火災や盗難から守っていました。土蔵の土壁の白さと重厚さ、そしてひんやりとした感覚は独特のものです。また、土蔵というと、酒蔵などやはり蔵のイメージが強く、「見世蔵」というのはちゃんと意識して見たことがないかもしれません。日本建築に残る先人と智慧と土の文化も学んでみたいと思います。
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聴福庵とはまた違う雰囲気を感じていましたが、家と言ってもそれぞれに特性を持たせていることが感じられます。雪国の新潟では0.5階分高くなった位置に1階の入り口がありますが、これもまたその土地土地の気候風土に合わせた性質であり冬の時期にはなるほどとその意味を実感します。それぞれにどのような意味があったのか、家の持つ味わいを感じていきたいと思います。