日本には様々な風習というものがあります。その風習は地域ごとに異なりますが、そこには忘れてはならない戒めやしきたりなどもあります。むかしばなしや童話などもそうですが、今のような記憶媒体になっている本やデータ管理などがなかった時代、それぞれで工夫してその物語が正しく伝承されるようにしていたように思います。
まさに年中行事などはその風習の代表で、正月やお盆、七夕や節分、お花見なども代表的な風習の一つです。そのほかには、地域のお祭りや花火大会などもあります。
これらは、四季折々の中で自然発生したものと意図的に誰かによって持ち込まれたものがあったりもします。しかしどれも日本人の文化として根付き、その地域の個性や色合いになっています。
多様性というものは、このように地域の風習と共に発展してきたように思います。それぞれの場所でそれぞれの人たちが、自由に自分たちの文化を醸成する。その文化を学ぶことが観光であり、その観光を通して自分たちの文化をさらに切磋琢磨させ発展させていく。
そうやって人類は、風習という風土の文化と一体になる智慧を学び続けてきました。今では経済活動と風習が挿げ替えられ、本来の風習の意味も損得勘定によって書き換えられていたりします。
本来の風習を守っていくことは、その地域や風土の多様性を守っていくことでもあります。引き続き、子どもたちに譲り遺していきたい風習や文化を学び直していきたいと思います。
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「風習」とは、その地域の暮らしそのものでしょう。それが、いつの間にか都会化し、グローバル化しようとして、その「地域性」をいうものを見失い始めました。「便利」という価値観に「ものづくり」の意味が変わってしまったように、「標準化」という価値観に「地域性」を失ったのかもしれません。比較競争を離れて地域を見直してみたいと思います。
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この時期は毎週のようにどこかでお祭りがあり、屋台が並んでいます。本来のお祭りとは意味が変わって来ているかもしれませんが、多くの人で賑わいたのしむ姿は昔と変わらないのかもしれません。そう思うと年中行事のない日本は味気なく思います。季節の廻りの中でその時期時季を味合うのも年中行事の意味だと思うと、今を楽しむということを大事にしていきたいと感じます。
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夏季実践休暇中も天候の急変が多く、田舎での暮らしは自然の美しさと同時に自然の驚異もまた感じました。周囲に大きな建物がなく視界を遮らないからこそ遠くの山々の状態に目がいったり、夜に星空が眩いからこそ空模様にも気をかけ易いように感じられます。自然から離れるほどに風習というものは形骸化していくものなのかもしれません。その土地の風土に親しむことを大切にしていきたいと思います。