日本の経営学の祖とも称される人物に、江戸時代中期の儒学者荻生徂徠がいます。徳川吉宗の思想に多大な影響を与え、その後、各地の藩校の思想として取り入れられてきました。
よく考えてみると、経営というものは歴史から学べるものです。どれだけ永く続くことができたか、繁栄と発展を持続できたかなどは同様に組織を持ち人々を集め、経営をしてきた人物たちの知恵や仕組みを観れば共有するものがあるのです。
その共通したものをよく分析し、それをその時代の特徴に照らせば凡その改善点は観えてきます。しかしそれを知ってもできないのは、人間が自己中心的であり我欲に負けたり、また自律的な道徳観によって和していくことができなくなるからです。ちょうどこの荻生徂徠のいた300年前も今の日本と同様に都市化が進み、スピード社会になり、金と物とのバランスが崩れた時代でもありました。
国家をどのように守っていくか、そして経営をどのように進めていくか、言い換えれば今の時代の経営コンサルタントであったともいえます。
徂徠の経営学の要諦は徂徠訓の中に見て取れます。
一、人の長所を初めより知らんと求むべからず。
人を用いて、初めて、長所の現はるるものなり。
ニ、人はその長所のみを取らば、即ち可なり。短所を知るを要せず。
三、己が好みに合う者のみを用ふるなかれ。
四、小過を咎める用なし。ただ事を大切になさば可なり。
五、用ふる上は、その事を十分にゆだぬべし。
六、上にある者、下の者と才智をあらそふべからず。
七、人材は必ず一癖あるものなり。器材なるが故なり。癖を捨つべからず。
八、かくして、上手に人を用ふれば事に適し、時に応ずる人物、必ずこれにあり。
九、小事を気にせず、流れる雲のごとし。
意訳ですが、すべてにおいてないものを求めずあるものを活かすという考え方です。そして短所をカバーし長所を伸ばすという人の活かし方です。人間を経営者の都合で使うのではなく、その人そのものの持ち味を活かせという経営方法です。
これは古来より、人間が調和し組織の中でそれぞれが活かし合うための妙法として君子や聖賢たちが取り組んできたことです。驕り高ぶらず謙虚にあるがままのその人を認め、その人が活かせるような環境を創るということです。
そのうえで、その環境を伸ばすためにそれぞれに合った制度を立て多様性を維持してくことと、人々が安心して生活するために儀礼・音楽・刑罰・政治などの制度(礼楽刑政)を磨き尽力することを諭します。
経営学は、いろいろな人たちが語りますが古今から普遍的に君子が守るべきものは尊重することです。その尊重することを、それぞれの時代でしなくなることから世の中が荒れ平和が維持されなくなっていくのです。
会社で行う小さな尊重こそがやがて世界の尊重になっていきます。経営を学ぶものとして、徂徠訓を肝に銘じたいと思います。
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徂徠訓は今見ても、そのまま活かせるものばかりです。そして、人の数だけ長所があると思うと、人同士の組み合わせになるとその数は無限大の可能性を感じます。一つの価値観や物差しだけでは、その長所を活かせないと思うと経営もいずれ、立ち行かなくなってしまうのではないかと感じます。先人の教えから学び、今の時代にその教えを実践して活かしていきたいと思います。
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その人の「短所」が気になってしまうのは、そのままを受け入れられていない、尊重できていないということでしょう。その背景には、勝手な「基準」があり、その条件に合うようにまだ「人を変えよう」としていたのかもしれません。「環境づくり」の発想の背景にも同じことが言えます。「その人を変える環境」ではなく、「その人をそのまま生かす環境」「その人の癖を捨てなくていい環境」へと、根本的に転換する必要があるようです。
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すべての人の考えは尊重されるべきと書いたら「それでは殺人者の考えも尊重しろってことになってしまう」と反対意見が来たと、以前読んだ植松努さんのブログに書かれていました。「尊重は『肯定』ではないから『否定』も必要ない」と綴られていましたが、兎角、人は肯定か否定かで判断し「尊重」という意味が分かり辛くなっているように思えます。良い悪い等ではない尊重をまずは大事にしたいと思います。