人間には共通の価値観というものがあります。それは、単に考え方が似ているやタイプが似ているという共通の価値観だけではなく、何を信じて生きていくか、何を大事に守っていくかという人間本来の道徳や理念的なものの共通の価値観もあります。
よく組織においては価値観の共有が大事だとは言われますが、それはその組織が何のためにあるのかと理解するために必要なだけで押し付けるものではありません。そもそもの理由が伝わっていないと、主体的に自ら考えて行動することができないから価値観の共有が必要なのです。
それが目的を伝えずに、価値観だけ共有させようとすると一つの価値観のみを優先するといったおかしなものになってしまいます。みんなそれぞれ人は異なりますから価値観が異なるのは当たり前です。しかしその中心となっている何のためにという目的を知れば、それぞれが異なって取り組んでも大丈夫という柔軟性が組織には必要です。それが安心感を醸成し、個々の主体性を引き出していくのです。
しかしこの価値観の共有は、お互いによく傾聴して対話しなければ理解することが難しいものです。それぞれ自分の価値観が優先させ狭い視野で対話を避けて思い込みはじめれば歪んだものになってしまいます。誰かに言われたことをやればいい、トップの決めたことに単に従えばいいとなると自分の価値観で相手の価値観を裁いていることになります。
自分の価値観が最上であると思うのではなく、自分の知識がもっとも正しいと思い込むのではなく、それもいい、これもいい、それも一理あると、一緒に考えていく中ではじめて価値観の共有は実現するのです。
人間はすぐに自分が中心になり正否を分別しますが、何のためにという方向がお互いに観えていれば色々な価値観があってもいいというのが本来の価値観の共有なのです。
このやり方でないとと固執するのは我執であり、こうでないとと思うのは自分に都合が良い方を無意識に選ぶからです。それを権力を持った人がやれば独善的になり独裁になります。全体にとって居心地よく快適である安心環境というものは、個々の価値観や生き方が尊重されながらも目的に向かっていける状態のことです。形を一つに縛らず、根底にある目的をお互いに大切にしていこうとするところに真の仲間も絆も産まれるように思います。
本物であるものだけが偽物であることも楽しめ、本質であるものだけが偽善であることも味わえます。これは仲間や絆でも同様なのです。
引き続き、仲間づくりをたのしみながら子どもたちが豊かに生きれる社會の土台を醸成していきたいと思います。
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坂村真民さんの「素足になれ」の詩の一節に「足をつけず生きている人間が増えてきた。動物たちは皆足をつけている。だから彼等は狂わない」とあります。
自分の価値観や理想からだけでなく、地に足を着いた実践を行っているだろうか、裸足になってはじめ気づくこと、ゴツゴツした感覚や痛み、芝生の気持ち良さもわかった気になっているのではないか、そんなことを思います。便利さや効率だけを求めるのではなく、心のつながりを大事に築いていきたいと思います。
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「価値観」というのは、人それぞれです。「総論」で意気投合しても、「具体論」で全然合わないケースは結構あります。そういう意味では、会議等だけでは相手の価値観はわかりません。必要なのは「食い違いの内容」ではなく「食い違いの背景」です。説得や強制ではなく、その「原点」まで丁寧に確認すること、そして、それを受け入れた上で何度でも対話することが必要ではないでしょうか。
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朝の団欒アクティビティでも、元々のブレストにあったアイディア出しの要素よりも「面白がって聴く」ことの大切さを感じましたが、そんな風に聴いたり乗っかったりすることは価値観を擦り合わせることに繋がるように思えます。皆が平等に話す場があったら、聴く回数の方が当然多くなり、人間の口は一つですが耳は二つあり、そんなことからも聴く姿勢の方が人間にとって大事なことなのかもしれません。一円対話とあわせて聴く実践を積み上げていきたいと思います。