人間は自分のままでいいと自己を肯定していないと自分のことが分からなくなっていくものです。言い換えれば、自分のことを知ることができはじめて自分を認めることができるとも言えます。
自分のことを自分で知れば、自分はこのままでいいと思えますが自分を知らないからこそこのままではいけないと自己を否定してしまうのです。自己を否定すればするほど、自分のことを客観的に観れなくなりますし、他と比較しては自分にないものを求めてしまうものです。
ありのままの自分を如何に素直に認め受け容れることができるか、そこには心を育てていくしかないように思います。心を育てていけば、心が強く広く大きくなっていきます。
ではどのように心を育てていけばいいかということになると、それぞれに方法はありますが何よりも自分の心との対話を続けていくことのように思います。その心の対話は、心の声に耳を傾けることからはじまります。
例えば、一日が終わり色々なご縁と出会います。そのご縁を味わいながら一つ一つを丁寧に振り返りをします。そして振り返る中で、心の声に耳を傾けて内省します。内省した後は、心の声に従って素直に行動してみます。そうやって、心を前進していけば自分が何をしたいのか、自分とは何かということが次第に明らかになっていくようにも思います。
その時、心を澄ませていくための道具として仏陀や孔子、または同じように自己を発見した先人たちの書物や体験談を参考にしながら自己の穢れを取り除いていきます。もしくは共に道を歩もうとする師友を持つと人生の旅路も豊かに明るくなります。
様々な我や煩悩もでてきますが、その時こそ、自分の心と正対していくチャンスだとして自分と向き合っていくことを繰り返すのです。他人ばかり視ず、遠くばかり視ず、自分の主観や感情でばかりに囚われず、足元を見つめ直すのです。
心はそのように少しずつ体験を通して育っていきます。人間は体も育ちますが同時に心も育ちます。心は目には見えませんが、心は広く大きく明るくなって伸びていきます。天地の心といってもいいかもしれませんが、自然のような心を持てる人、地球のような心を持つ人に限りなく近づいていくことで私たちは天地人一体になります。
そう考えれば、人間が造った文明や市場経済、お金といったもので私たちは人間の本質や本来であったものから遠ざかっていきました。それをまた修行によって回帰しようとしているのだから、物質の進化と逆行して心の進化は劣化していきました。
今や時代の価値観の転換期ですから、心を育て心の豊かさで文明を維持するということも考えなければなりません。そうでなければ、本質的で確実な進歩もなく、物質の劣化も進むばかりです。本物の進化にするためには、人間の心を高めそのうえで物質を磨かなければなりません。
日本文化を深めていると、職人の人たちが高めたものを観るたびに畏れを感じます。そこには自然観や地球観、その広大無辺な心によって物質の持ち味を最大限まで活かして仕上がった精神性や真実を観ることができます。もしもこのままの心を高め時代が進むのなら、文明はさらなる進化に向かうはずです。
自分を知るという入り口は、時代の価値観を換えていくための偉大な一歩です。引き続き、分かっているようでわからない自分と向き合いながら謙虚に深め続けていきたいと思います。
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「自分を知る」ということの本質は「人間を知る」ということでしょう。それは、「個々人の違いを知る」ことの前に、「人間としての素晴らしさを知る」ということでもあるでしょう。そうして初めて、「人の良さ」と同じように「自分の良さ」も見えてくるのではないでしょうか。「他人と比較した後の自分」を受け入れるのではなく、「比較以前の本質の素晴らしさ」をこそ受け入れ、すべての支えにしたいと思います。
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1日を振り返ることでその時には気付けなくても、気付くことがあります。自己との対話、そして仲間との共有は学びが広がります。そして、聴くということの奥深さを改めて感じています。ただ、聞くのではなく、いいねと乗っかると楽しくなってきます。自己との対話でもそうですが、自己否定からではなく、肯定から入り面白くしていくことを大切にしていきたいと思います。
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自分の自由になることとならないことを分け「自由にならない」ことはひとまず置き「自由になること」だけに集中してみる、というある方のお話は、先日悩まれていた先生の状況にも繋がり「素直」という意味にも深まりを感じました。自由にならないことに悩めば自己否定にも繋がり、自由になることに注力することは自分を知ることでもあるように思います。足元の一歩を踏みしめていきたいと思います。