志を立てて歩んでいても機が熟さなければ何をやっても上手くいかないものです。この機とは、時機のことで作物の実が熟すのを待つように収穫できる時機かどうかを見極めなければなりません。同様に作物もよく観察していなければ旬を逃してしまうことがあります。もしくはお腹が空いたからと熟すのを待たずに早くに収穫してしまえば食べれるものも食べれなくなります。自然には時機があり、その時機を待つために自ら努力し続けなければなりません。
渋沢栄一にこんな言葉があります。
「どんなに勉強し、勤勉であっても、上手くいかないこともある。これは機がまだ熟していないからであるから、ますます自らを鼓舞して耐えなければならない。」
志を立てて日々に一歩ずつ努力を続けていますが、報われない日々を過ごしているうちにそろそろいいだろうとか、ここまでしているのにとか、なぜ変化がないのだろうとか、あまりにも結果につながらないと気持ちが弱っていくものです。しかし、そんな時こそ信じて遣り切るしかありません。その信じたことが、後に自信になり時機が来た時に迷いなく熟したということを自覚することができるからです。
信じる力というものは、自分が先に諦めなければそれを伸ばしていくことができます。それは相手を見て信じるかどうかではなく、まさに自分自身の心と向き合って信じるかどうかを決断する日々の覚悟の醸成なのです。
覚悟を決めているのなら物事の結果は外側次第相手次第ではなく、自分次第になるからです。信じるかどうかも自分次第、継続するかどうかも自分次第なのです。自分が信じたように人生がなるといわれているのは、この信じる努力をし続けたかどうかということが人生の中心になっているからでもあります。
信じきれない時こそ、自分を信じる切る努力をすることが継続の本質です。
そしてどんな時でも、信じて諦めずに努力する仲間がいるからこそその仲間に恥ずかしくないように自分を鼓舞して挑戦し続けるのです。道の同志や、仲間がいればもしも自分が志半ばにして斃れても仲間がそれを受け継いでいつか夢を果たしてくれます。もしも仲間が先に斃れたら、自分がその志を受け継いでその志を貫遂するように使命を果たします。
一歩一歩ずつしか歴史は創れず、一日一生だと人生を生き切るしか道は拓けていかないように思います。たとえ一人になったとしても、自分はこの道を歩むか、それは覚悟の問です。継続する中で、今日も何とかやることができたという必死な努力と何とかやらせていただけたという感謝の努力、他にも謙虚な努力、思いやりの努力、信念の努力など色々な努力がありますが努力を継続していきたいと思います。
子どもたちの未来に向けて徳を遺し福を蒔きたいと思います。
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タイミングが合わないときというは、遅すぎるのではなく、早すぎる、すなわち「焦り」が基本的な問題でしょう。「焦る」というのは、「待てない」ということであり、それは、熟すのを「信じていない」ということでもあります。「忍耐力のない者に事は成せない」と言われます。私自身、いまも「忍耐力」が試されています。自分を信じて信じ抜いて、しっかり鍛えていきたいものです。
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「蒔かぬ種は生えぬ」ではありませんが、文字通り蒔かないことには芽は出ません。思っていても挑戦しなければ蓄積されず、言葉そのままですが、言い当てられています。大型台風が近づき、柿農家の人がインタビューを受けていました。直撃すれば全部実が落ちて、今年はそれで終わりと。木を衝立で支えたり対策を取られていましたが、今年はとくに自然の猛威を感じます。自然から見たら、自分自身においても、揺さぶられる何が起きても不思議ではありません。ただ、すぐに実らずとも実践をし続けることは大切にしていきたいと思います。
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「誰と比べるわけでもなく、今の私には昨日の自分すらライバルではなく、大好きな私が今を楽しんで生きていること、それがただただ嬉しい。」ある人の言葉に、その前提に清らかなものがあることを感じました。努力の精神や忍耐と言うと厳しい稽古をするかのように思えますが、本来は嬉しいものであり、それを見失わないことが大切なのかもしれません。努力の方向を常に整えていきたいと思います。