先日、約250年間続いている荒物屋のご主人にお会いしお話をする機会がありました。かつて近江商人だった先祖が、背中に籠を背負って全国を渡り歩く中でこの地を訪れそのままこの風土に根付いて商いを続けて今に至るそうです。
店舗の奥の方には150年以上前に建造された立派な土蔵造りの蔵もあり、かつては荒物問屋として大切な商売道具を保管するために使われていたそうです。120年前に大火があってこの辺りの家は350メートルほどまで消失したといいますが御蔭で蔵は無事に難なく保たれたといいます。
興味深いお話としては火伏りのために建てられた蔵には、どこも入り口には常に粘土を常備しており火事になれば扉を閉めてすぐに扉の隙間を粘土で塞ぐそうです。そうすると中までまったく火も通らず、熱も分厚い土壁で遮断することができるそうです。この土蔵は約3年ほど懸けて左官が仕上げていくそうですが、むかしの職人さんたちがじっくりと丁寧に取り組んだ形跡が内部のあちこちに拝見できます。土蔵の重厚感と調湿効果、漆喰の薫りや音の響きなど魅力は尽きません。
話を荒物屋に戻せば、そもそも荒物屋というのは室町時代末期頃に大きめで重めで安価な商品を「荒い」ものととらえて、広く「荒物」と称していたといいます。 それが江戸時代になると、ほうき・ちりとり・鍋・釜・おけなど暮らしに必要な道具を販売することになりました。
現在、8代目になる主人からは「荒物は手作業で作るものだから手が荒れるという意味もある」と仰っていました。同時に、「むかしは土の中奥深くのものあるのは循環しないし持続可能ではないから使わなかった」とも。土の上のもの、自然物を使いそれを暮らしの道具にするところが暮らしの道具の全てだったそうです。
今でもそこはほとんどが日本製で、いい品物ばかりを揃えていました。250年間続く荒物屋の問屋として今でも全国各地に荒物をつくる職人さんたちと繋がりがあるそうです。今の時代、情報化社会の中でなんでもインターネットで買えるようになってきていますが、ここの荒物屋さんは丁寧に商品の説明や由来、理由や暮らしの智慧などを伝えていただき納得して購入することができます。この荒物屋の伝統に一つの近江商人の生き方を感じました。暮らしの伝統の道具が今に続くのもまた、かつての生き方がいつまでも息づいて生き続けているからです。
本来の商いの姿勢、250年の取り組みの伝統を実感し改めて暮らしの道具、荒物に興味関心が高まりました。今後も荒物に関することを少し深めてみようと思います。
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「ものを売るためのセールストーク」ではなく、「それをこしらえる人の思いと願い」をちゃんとお客様に伝えているというところが、昔の商人の誇りだったのではないでしょうか。いまは、何でも「便利さ」という価値観が優先されますが、先人が積み重ねてきた智慧の重みによって支えられている「ものの本質の伝え方」というものを、昔の商人魂から学びたいものです。
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荒物屋という言葉も初めて聞きまししたが、あの界隈の街並みを見ると、街全体が栄え全国の街とも交易があったことを感じます。教科書で歴史を覚えようではなく、現地に赴くと歴史を肌で感じられます。次の機会には荒物屋さんを実際に見てみたいと思います。
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先日、ある園の園庭の勉強に参加してきましたが、本来は自然の中に全てがあり、それを凝縮したものが園庭であるように思えました。「ものの違いは3割、7割は使い方」とある方が仰っていましたが、使い方を知る、遊び方を知る、その奥深さを知る、という機会は、ものを扱う以上に大切なことのように感じられます。身近な暮らしの道具が何を伝えてくれていたのか、目を向けていきたいと思います。