暦の知恵

昨日、聴福庵の夏の室礼を片付けて秋冬に向けての準備を行いました。旧暦では現在は秋の真っただ中でそろそろ中秋の名月を眺める時期に入ります。現在ではスケジュールやカレンダーなどの数字を元にしたものでなんとなく季節を推察していますがむかしの人たちは二十四節季といったものを用いて感覚で理解していました。

この二十四節季は太陽の動きをもとにしてつくられています。太陽が移動する天球上の道のことを黄道といい、その黄道に合わせて24等分したものが二十四節気です。まず黄道を夏至と冬至の「二至」で2等分にします。そして春分と秋分の「二分」で4等分になりその中間に立春、立夏、立秋、立冬の「四立」を入れて「八節」とします。その一節を45日に分けてこれを15日ずつに3等分したらちょうど「二十四節気」。さらにそれを5日ずつに3等分し、時候を表したものが「七十二候」といいます。

旧暦では、これを用いて現在の季節がどのようになっているのかを判断していくのです。

むかしの人たちは太陽と月の動きを観て季節を判断してきました。今のように自然をあまり視ずスケジュール管理が優先されたりカレンダーのみの数字で生きていたらあまり太陽とか月の影響を感じなくなっているのかもしれません。

むかしの暦は、八十八夜などというように立春から何日目という具合に数えていました。自然の四季の巡りを通して、今が何の季節かを感じ取ったのです。決して9月に入ったから秋なのではなく、春からどれくらい経っただろうかを感じ取り、そろそろ秋の支度をしようと季節を待ったのです。

太陽や月の運行に合わせることは、地球のバイオリズムやバランスに自分の方を合わせていくことです。そのことで自然の一部である体の調子も整い、そして精神も穏やかになり、四季のめぐりの有難さと現在の地球の様子などを直観することができたように思います。人間は自然と一体になるときに心が安心して歓びを感じます、そしてその自然と暮らすことが一度しかない人生を豊かに楽しむことになるのです。

改めて旧暦を思う時、スケジュールやカレンダーから入ろうとするからその数字の刷り込みに頭が支配されてその意味が理解できなくなることが多いように思います。その時は、一度、太陽や月と地球の位置のこと、立春から考えること、巡りをイメージすることなどを工夫してみるといいのかもしれません。

日本人の先人たちが長い歴史の中で培ってきた暦の智慧を暮らしの中で復古起新して未来の子どもたちのその智慧を伝承していきたいと思います。

  1. コメント

    私たちは、ものごとをと明確に分けたがり、春夏秋冬も分けて認識しようとしがちです。しかし、実際には、秋は夏の途中から始まっており、季節は重なっています。旧暦は、微妙な自然の変化を見逃さないことで、この季節の変化を教えてくれています。昔の人は、農業的に今何をすべきか、そして、暮らしとしてそろそろ何の準備をすべきかを、暦を通して知っていたのでしょう。自然とともに暮らす智慧を学び直しておきたいものです。

  2. コメント

    日中はまだまだ暑さがありますが、朝夕は涼しく、風が吹くと秋めいたものを感じます。日暮れも早くなり、暑かった夏もそろそろ終わり、食の旬も変わってきています。日本にいると様々なところからその変化を感じます。食にも旬があるように、暮らし全体をその時季に合わせることで、楽しんでいたのではと感じます。今の時季に合わせ味わい、楽しむことを大切にしていきたいと思います。

  3. コメント

    ドイツの森の幼稚園では、算数を教えるのも森を使うとお聴きしました。まつぼっくりを拾ってきて大きい小さい多い少ないを並べるなど、それが就学全教育になっていると。この「歴」というものも文字だけでみるとまるで算数・数学のようであり、やはり自然を用いてそのまま数の概念や感覚を掴んでいたのかもしれないと感じます。既存の知識ではなく、自然の変化から学ぶ感性を取り戻していきたいと思います。

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