つながり

歴史というものは「つながり」の中で確認していくものです。そのつながりが観えるかどうかは大切なことで、つながりが切れてしまえば同時に歴史も消えてしまうのです。

このために「つなぐ」人というのは、その一般には見えないつながりが観えている人であり、その観えている人が語るからこそその歴史は途絶えずに子孫へ継承されていくのです。

つながりが観えることと見えないことの差は、人生に大きな影響を与えます。例えば、今自分が存在している理由や、自分の動機や関心が湧く理由、もしくは場所や仲間、またご縁や御恩を頂いている存在がどのようなつながりでつながったのかを確認することで絶対的な安心感を持つことができます。

一見して、なぜ自分がこれをやるのかと思うことであっても、それはつながりの中で観えるのならごく当たり前に自然に行えるものです。そういう意味では直観というものもまた、目には観えないつながりを感じてそれを暗黙知的に理解しているとも言えます。

このつながりというのは、自分からつなげていこうとしなければつながりません。また自分自身がつながりを深めていかなければつながることはありません。

そういう意味で、これを先人たちは「ご縁」といって「つながり」をいつも大切にして伝承を続けてきたのでしょう。その一つの実践に先祖供養があり、神社などの縁結びがあり、一期一会の出会いを大切にしてきました。

今もあの時もそしてこれからもつながっていくということが、自他を思いやり感謝しいつくしむことであり、そのご恩返しに生きることで子孫たちへ徳恵を譲っていくことでもあります。

自分だけのことしか考えず、刹那的に生きているというのはこのつながりが見えていないということに他なりません。いつも歴史を鑑みて生きるのは、かつてのご縁を感じながら出会いを大切にしていくことです。

一期一会の生き方は、つながりを大切にしていく生き方です。

引き続き、子孫のためにもご縁を辿って観えないつながりを可視化していきたいと思います。

  1. コメント

    「縁がある」というのは、「繋がった」というよりは「繋がっていたことに気づいた」ということでしょう。この発見は、大きな「安心感」でもあり、それが「人生の確信」にもつながっていきます。「天からの見守り」に気づくことで安心してがんばれますが、縁による「仲間の見守り」に気づくことで更なる勇気も出せそうです。

  2. コメント

    まだまだ気づいてない、気づけていないものがあるのではないかと思うと、しているのではなく、させて頂いているのだという気持ちが湧いて来ます。そして、目に見えないものは、目が悪いから見えないのではなくて、自分からつながろうとする想いがそうさせるのだと感じました。友人との関係が時間と共に濃い思い出が増していくように、つながりを大切にしていきたいと思います。

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