歴史の史跡を自分の足で辿っているとそこに歴史の重みを感じるものです。単に教科書や本を読んでも、その歴史の重みは分からず、その場所に立ち、過去に思いを馳せて感じていると次第にその時を肌で感じるのです。
この肌で感じるというのは、その場所や空間を体験するということです。空間というものは、時を超えてその場に止まるものです。例えば、その場で過去に何があったのかという伝承を口伝で聴き、その場所に留まり佇んでいると次第のその時の情景が目に映ります。
その場の空気は空間に宿っており、何があったのかを直観し感覚で理解していくのです。これらの能力は、人間には備わっており、私たちは文字を発明し言葉を使う前から、肌感覚で理解するという仕組みが体に染みついているのです。
以前、北海道のアイヌの長老の方にお話をお聴きすると、アイヌは歴史を口伝で理解し、100年くらい前のことはスラスラと思い出すということを聞いたことがあります。
これもまた記憶の仕方の違いであり、肌感覚で理解する人は鮮明に過去のある時をいつまでも覚えておりそれをそのままに伝承することができたのです。現在では教科書で歴史を教え、現地に行かなくても知っているかのように知識の応酬をしてはわかった気になっていることも多いのですが本来は現地に足を運び肌感覚で理解していくのが生きた歴史の認識なのでしょう。
子どもたちが、頭で知識で歴史を理解し大切なことを見落とし重要なことまで風化させていかないように自分自身が歴史に対する認識を改め、肌感覚で歴史を伝承していきたいと思います。
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大河ドラマの舞台となった場所や出生の地などを訪れると、ここから歴史が動いたのかと感慨深いものを感じ、ただTVで観ていたものもまた少し、観え方が変わる、そんなことがあります。そして、今立っている地もいつか、歴史の1ページになっていくと思うと、今いる場所で為すべきことをしていかなければと、身が引き締まる思いです。調べれば何でも分かる時代ですが、自分の目と耳で見聞きしたもの、感じたものを大切にしていきたいと思います。
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私たちは、「見ること」や「聞くこと」などいろんな方法で認識しますが、「肌で感じる」というのは、そのなかでも特殊な認識方法のひとつでしょう。特に、過ぎ去ったものを理解する手段として、その場に佇み、時間を超えるということができるのは、不思議な体験です。時空を超えて、見えないものを見、聞こえないものを聞き、先人の生き様をもっとありのままに理解したいものです。
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その場やその空間に身をおき感覚で理解していくという力は、目の前のこの現実もまた未来の歴史であるとして、どれだけ今この一瞬をまたとないものとして大事に受け取ることが出来るかによって磨かれていくものなのかもしれません。昨日の応接室での会議一つも未来に繋がるものとしてよく心に留めたいと思います。