歴史を深めていると、その時あったことが後になって全く別の効果を発揮することに驚きます。たとえその瞬間が誰が見てもいいことではないと思っても、その反対側の側面では別のいいことが発生していることもあるのです。つまり物事は全方位で観る場合と一方方向だけで観る場合では意味が全く異なるということです。
この全方位で観るには、長い時間をかけたり、反対側から物事を鑑みたり、もしくは広く大きな視野で観るなど物の見方が成熟している必要があります。意識しなければ人は自分の都合のよい観方しかしていませんから、自分を中心に損か得かで物事を判断しては一喜一憂し一挙一動を決めているからです。特に我が強くなればなるほどに視野は狭くなり自分の価値観や感情に呑まれますから注意が必要になります。自分にいいことだけをやっていたら自分が追いつめられたでは本末転倒になるからです。
先日、応仁の乱のことを調べるとこれより戦国時代がはじまり内乱が続き多くの人たちが亡くなり悲惨な出来事でもありましたが同時に芸術方面の文化や、それまでの身分や差別などの制度も刷新されたりと新たな一面もありました。一見して、ただ悪いと決めつけるのではなくその歴史を深めれば同時にそうではない一面も出ていると思えば完全にマイナスや完全にプラスなどというものはなく、物事は常に両面や全体によって影響を与え合っているということなのです。
これは自然界も同じで、快晴が続けば人間にとってはいいのでしょうがそれが続き過ぎれば水不足になり多くの生き物たちが困ります。台風や嵐も地震もまた一方では都合が悪いのですが別の方向からだと大変な恩恵をいただいていることもあります。天候は常に調和していくのは、全方位全体に対して吉になるようにと働いていくからです。
誰かが都合を押し付ければ、誰かが不都合になる、如何に全体にとっていいかと正対する力を育むことこそが人類が永続するための真の文明人を育てていくように思います。
そのためにもっとも大切な学問が、「歴史」であろうと私は思うのです。歴史は単なる数字やものごとの意味を暗記することではなく、今に生きている歴史を遡り、その中で得る教訓や智慧を学び、全体観を身に着けていくことだと思います。
この全体観が身に着けば、人間は自分というものの存在を正しく認識することができ如何に全体にとっての善さが反って自分のためになるということに気づけます。すると自分にマイナスだと思い込んでいたものが、物の見方が転じられそのすべてが「今の自分に相応しい」ことに気づけます。
するとそれまでマイナスだと思っていたことが、プラスになる、いや「相応しくなる」ことで足るを知り、本来の自己を発揮でき本当の仕合せを永く享受されていくように思うのです。そのためには、常に自分が全体観で物事を捉えているか、全体観で自分を見つめているかと内省を続けなければなりません。
時として、その全体観は誰にも理解されず、非難や否定、批判や恨みを買うときもあるかもしれません。しかし真心や思いやりで取り組んだことは、後の歴史で必ず証明されるものです。
自分の信念を信じて、全体観で歴史から学び実践を積み重ねていきたいと思います。
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現代に生きながら、過去の歴史を知れるというのは有難いことです。何も残っていなければ、その言われも知る術がありませんが、書き残してきた先人がいて、その積み重ねが歴史になっているのだと改めて感じるものがあります。自分自身の身の回りのことにおいてもそうですが、ただ、過ぎていけば何も残りません。聴福庵が今後も大切されていって欲しいという想いで行なっている資料整理が、いつか何らかの形で役に立たつ時が来るのではないかという想いで携わっています。その時は気付かなくても、振り返って発見するものがいつもあります。その喜びは何物にも代え難いものです。歴史も同じように、日々の出来事も振り返ってまた気がつくものがあります。今見えているものが全てではないのだと、学びを深めていきたいと思います。
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その場では理解されないこと、その時にはわかってもらえないことはたくさんあります。亡くなってから評価される偉人もいます。歴史の評価も時どき覆ります。人はどうしても、「自分の都合」「その時どきの事情」で判断しがちですから、なかなかに難しく歯がゆいところでもありますが、天意を信じ、評価を離れて、信じる道をただ歩みたいと思います。
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「人は、何のためにこの世の生を生きるのか」という問題に対し、森信三先生は「結局人は自分の一生を終わってからでなければ、真実にはこの問題に答えられない」と仰います。一人の人間がなぜ人生というものを歩むのかを問い続けることが、同じようになぜ人類が永い歴史を歩むのかの答えになるようにも思えます。人間であるからこそ、真の学問に目覚め子どもたちへと受け繋いでいけるよう、人類の意味を問いながら真摯にこの生を生き切っていきたいと思います。