先日、終戦間際に「特攻」をして亡くなった若い方の遺言やメモを拝見し色々と考える機会がありました。この特攻は、「特別攻撃」の略で敵に対し、兵士自身が兵器を抱えて突撃、もしくは兵士が搭乗する兵器をぶつけて道連れにする自爆攻撃のことをいいます。
お国のために死ぬと分かってて突入する、その必死の人物たちはどのような人たちだったのか、今のように平和ボケしてしまっている現代においては戦争のことすらも理解するのも難しいように思います。
その特攻の方々の遺言やメモを観ると、大切な国を守るため、大切な人を守るためにと、自ら真心で命を懸けて前向きに生き切った証が随所に残っていることが多いように思います。そしてその特攻する人たちを見守った人たちの覚悟もまた、想像を超えるような命をやり取りばかりです。ただの愛国心という言葉で片付けられるものではなく、生き方として真心や誠実に生き切った人たちから私たちは生き方を学び直す必要があるように思うのです。
今度お伺いする鹿児島の知覧には、特攻の母とも呼ばれ親しまれ、特攻隊員たちを息子のように真心で見守り続けた人物がいました。富屋食堂を切り盛りしていた鳥濱トメさんが、戦後、遺族や生き残った人たちが知覧を訪れた時、泊まるところがないと困るだろうという気持ちから、特攻隊員たちが当時訪れていた建物を買い取って、来訪者を泊めている旅館を買い取り子孫の方々が語り部として経営しておられます。
この鳥濱トメさんは、訪れた人たちに「とく」という漢字を掌に書いてくださいと言っているそうです。その上で下記のような言葉を伝えるといいます。
「善きことのみを念ぜよ。必ず善きことくる。命よりも大切なものがある。それは徳を貫くということ。」と。
そしてこう仰ったといいます。
「私は多くの命を見送った。引き留めることも、慰めることもできなくて、ただただあの子らの魂の平安を願うことしかできなかった。だから、生きていってほしい。命が大切だ」と。
人間はどんな極限的な状況であっても、誰かを思いやり誰かのために自分の真心を盡そうとします。それがたとえ悲惨な運命であったとしても、自分自身の真心のままでありたいと思うものです。それが日本人が大切にしてきた清明心でもあります。
清らかで素直に明るく正直に、思いやりをもって優しく生きた人たちの生き様こそが本当に遺していきたいものだったのかもしれません。「人徳」とは、人間が生きる道であり、人間が人間として磨かれ玉として顕現する最期の姿なのかもしれません。
以前、島浜トメさんと同じように「徳という自を書いてみよ」とはじめて致知出版の藤尾社長からお聴きした13年前を思い出しました。あれから生き方をどう磨いてきたか、改めて振り返り原点回帰したいと思います。
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TVや本などからの情報でしかありませんが、情景を見聞きするだけで本当に恐ろしくなります。平和な時代に生まれ、こうしていられるほんの少し前に実際に起きたことだということも、信じられないくらいです。当たり前だと思わず、頂いたいのちを精一杯生き切っていけるよう、精進していきたいと思います。
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自分の力が及ばず、まったく何もできないまま「ただ祈るしかない」「ただ願うしかない」というケースはたくさんあります。無力感に襲われ、情けなさに打ちのめされるようなときこそ、人の道としての生き方を貫きたいものです。「何を祈るか」ではなく、「どのような心境で祈るか」ということを大切にしたいと思います。
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特攻隊員たちが一体何と戦ったのか、それは単なる敵軍などという小さなものではなかったと思います。今よりも遥かに真剣に「生きる」ということを考えた人たちだったからこそ、戦争というものの背後にある大いなるもの、その理不尽さや強欲に対して自らの信念でいのちを懸けて戦ったのではないかと感じます。「戦争でいい人は皆死んでいった」という言葉が心に残りました。そして残された人たちもまた必死に生きたのだと思います。戦後に政治的な思惑で無駄死になどと言われ、今もなお背後にあるものは変わりませんが、戦争や平和という言葉を一端抜きにして、純粋にその人としての生き方を学び、そのお蔭をわすれないようにしたいと思います。