いにしえからの風

「萬古清風」という言葉があります。これは中国・唐時代の漢詩の一節で禅語でもよく見かけますが「はるか昔から清らかな風が変わらずに吹いてくる」、「古きにも新しきにも全ての時空にあまねく清風が吹く」という意味で用いられます。

とても素敵な言葉で、大昔の古来から永遠に風が吹いている様子に心が洗い清められるようです。私たちは、昔の教えや知恵、先祖の生き方や伝承などをお聴きするご縁に巡り会うと、古来より何が真実であったか、そしてむかしから何が根本であったかに気づき有難い思いがしてきます。

それはまるで、何百年前から何千年前も、そしてこの今に向かって彼方から風が吹いて自然の循環が已まないで私たちに恩恵を与え続けてくださっているかのようです。

これは御先祖様の遺風や遺徳なども同様に、今の私たちがあるのは何の御蔭様かを思い出すとき、そして子孫の行く末をいつまでも案じてくださっている親心を感じるときにこの清風を感じられます。

人間は私心を捨て去り、万物一体善の境地になれば心が澄み渡り自然そのもの、言い換えれば神人合一の境地に達します。その崇高な穢れなき魂は至純であり透明で水や光そのものになります。

そうやって無私の境地でいのちを奉げてきた方々の陰徳は、忘れないで居続けることでいつまでも子孫にその徳風が吹き続けてきます。この徳風とは、無私の人たちの生き様から吹いてきます。その吹いてきた徳風が心身を通り抜けていくとき、私たちはその新しい風をいつまでも浴びることができ、その新しい風によって私たちの記憶もいつまでも甦生し続けていくことができます。

いのちの甦生です。

いのちがこのように甦生し続けるのは、まさに萬古清風の御蔭なのです。

いつの時代も人間である以上、自分との向き合いは人間の課題であり、その中で私心が私欲に呑まれる人と私心や私欲に打ち克つ人がいます。しかしその生き方の模範として、魂を極限にまで磨き上げ美しく光る人たちが子孫たちに徳の道を繋いでいきます。

道は終わりなく、また魂も廃ることはなく、永遠に風が清め続けますから私のその風の一吹きになって子どもたちの行く末を見守り続けていきたいと思います。いにしえからの風になりたいと思います。

  1. コメント

    風と表現する言葉が日本語には150種を超えるほどあるようです。一言で風と考えてるいたしたが、私はどんな風を感じられているだろうかと思います。清風という描写一つとっても、美しさを感じます。風は目には見えませんが、草花が揺らぐと、そこに風を感じます。先人たちも目の前にはいなくても、その遺風はまさしくあり、感じるものなのだと再認識しました。風という言葉をとっても、先人たちが遺してくださったものを一つでも多く感じられる自分に近づいていきたいと思います。

  2. コメント

    「風」はいろんなものを運んできてくれます。それも、時を越えて吹き続けてくれたりします。その「風」は「愛」に例えられることもありますが、同時に「徳」でもあり、「真理」でもあったりするのでしょう。私も「風の如き生き方」を理想にしていますが、焦って砂塵を巻き起こしたりしない「優しく、さわやかな風」でありたいと思っています。

  3. コメント

    鍵山氏の言葉に「私には、古人・先人の口から洩れた言葉や箴言が数限りなく宿り、それによって心が創られております。私の心を構成している要素の中で、私自身が作り出したものは、何一つありません」とあります。いつの時代も先人の遺して下さった言葉そして生き方から、自分を律し魂を磨き上げていこうとした人々の思いが受け継がれていることを感じます。何を学び、何を活かすのか、いただいているものに感謝の心をもってこのいのちをつかっていきたいと思います。

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