「実験」という言葉があります。これはとても良い言葉で、実際の体験のことを言います。「人生は実際に体験してみないとわからない」というのも、とても応援される言葉であるように思います。自分で思っていても、体験してみないことには本当のことはわかりません。自分できっとこうだと決めつけていると、本来の体験の面白さには気づきませんし出会いません。人生の苦労は体験の中にありますが、人生の喜びもまた体験の中にあります。体験しなければ仕合せを豊かに充たしていくことはできないのです。
この「験」という字には、「幾や兆し」という意味もあります。字の由来は中国で、「験」の旧字体は「驗」と書き、この右半分のうち、一番上の「^」と「一」で「集める」という意味があり、さらに2つの「口」(物)と「人」を合わせた形で、多くの物や人を集めまとめることを表しています。つまりは篩にかけてたくさん試していいものをそぎ落として探し当てるという意味だったように思います。
実験は一回やってみて終わりではなく、多くやった方がいいのはそれだけ試行錯誤されれば必要なものだけが残っていくからです。何回も何回も懲りずに場数を踏んでいけば、その実験によって本物だけが残ります。一回だけやってみて出た答えが、いきなり本物や本質であることは少なくほとんどが繰り返し取り組む中で顕現してくるのです。
これは自分を修めることも、自己を探求し自己確立していくのもの同様です。実験を繰り返し、多様な体験をしながら自分というものに向き合っていく中で本当の自分に出会うのです。
現代は、真面目な人が増えて実験を怖がる人が増えているといいます。それは責任や結果を恐れすぎて、挑戦することや実験することで発生する困難により保身が出てくるからのように思います。保身も自分を守るためには大切ですが、保身のためにと実験をしなくなるとそこから新しい体験や経験ができなくなり、変化を避けたことでかえってその保身もできなくなる可能性が出てきます。
この実験が幾であり兆しであるのは、それは変化とともにあるからです。無理に挑戦しようとか賭けていこうとか頑張らなくても、実験してみようといった実際の体験を重視する生き方に換えていくことで発見という気づき、発明という学びに出会えるように思います。
ある人が、今の世はある意味での文明実験であると仰っていましたが人類もまた偉大な実験の途上です。成功も失敗も、正解も不正解もないこの世の中においては実験して得た自分の体験こそが真実です。
実験をしようとすると、親切心から心配しいろいろと批評したり、診断したり、裁いたり、文句をいったりすこともあるかもしれませんがそれでもそれ以上に実験してみないと体験できないからこそ忠告を聞いてそのうえで準備をして実験してみるといいように思います。
子どもたちの一期一会のその人らしい人生が充実していくように、実験の大切さを伝えていきたいと思います。
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過去のクルーブログを読み返していると、色々な取り組みをしていたことを思い出しました。失敗したことなども書いてありますが、振り返ってみるとその経験が活かされ、次に活かされていることを感じます。実践を重視していなかったら体験として積み上がってくるものがなかったと思うと、その体験の尊さを感じます。実験することで新たな発見をする、その繰り返しを大切にしていきたいと思います。
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「人生」も「経営」も、そして「政治」も、まだまだ実験途上です。時代の変化とともに、新しい課題も出てきますから、結局は、いろいろ「試しながら」より良いものを見つけていくことになるのでしょう。ノーベル医学生理学賞を受賞された本庶先生が、「教科書を信じるな」と仰っていましたが、「人生」こそ、自分の目で確かめていくことが大事なのではないでしょうか。
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昨日の一日を振り返ってみても、様々な実験があったことを思い返します。やってみてそこから見えてくるもの、それを次にどのようにしていくか考えること、そこに面白さがあることを実感します。方向性は誤らないようにしつつ、やり方や道のりは色々と試していくような試行錯誤を楽しんでいきたいと思います。