脱皮するということ

脱皮という言葉があります。これは辞書をひけば「昆虫や甲殻類などの節足動物や線形動物のように体表に堅いキチン質の殻をもつ動物が,成長の過程で古い殻を脱ぎ捨てること。節足動物では脱皮に伴って変態し,昆虫類では通常幼虫期に5~7回,蛹で1回の脱皮を行い成虫になる。しかし,甲殻類や無翅昆虫では成虫になっても脱皮を続ける。カエルやヘビなどの脊椎動物が皮膚を更新することも脱皮という。 」と書かれます。

しかしすべての生き物は脱皮することを何らかの形で行っているように思います。人間でいえば皮膚や髪が生え変わったり、爪が伸びるのもまた脱皮の一部とも言えます。そして成長するということは、脱皮を繰り返していくということのようにも思えます。

その脱皮には辞書をよればもう一つ「古い考え方や習慣から抜け出して新しい方向に進むこと。」という意味もます。外側の外殻だけが脱皮するのではなく、同時に内面内容もまた脱皮していくということでしょう。

それまででは合わなくなったものを、新しい成長ステージに合わせて今までのものを捨てていくということ。脱皮は昆虫たちも命がけですが、成長とは本来このようにすべてにおいて命がけの取り組みともいえます。昆虫たちは脱皮に失敗すると死んでしまいます、それは外敵に襲われたり、もしくは脱げなかった皮によったり、もしくは途中で力尽きたりと様々な理由です。しかしそこまでしてでも脱皮しなければならないということ、生きていくためには、生き残るためには命がけで脱皮していくしかないということです。成長に伴う痛みは、脱皮とともに剥がれ落ちていくそれまでの自分ということでしょう。

この脱皮にもっとも影響を与えるのは、脱皮ホルモンという物質です。この成長ホルモンの一種が働くことで、変異や脱皮がはじまります。人間もまた、このホルモンの変化によって体調が左右されたり自律神経が調整されています。このホルモンのバランスは成長期に起きるものであり、新しいステージに向けて脱皮しようと試みているようにも思います。

脱皮するというタイミングを逃さずに成長ホルモンが出てくるという事実に触れてみると、成長とは自然と共生する中で一生の四季に合わせて訪れるものかもしれません。その成長の時機を味わいながら、新しい世界に入っていくための準備をしていきたいと思います。

体の声を聴きながら、静かに時を待ってみたいと思います。

  1. コメント

    昆虫が幼虫期に5〜7回も脱皮をしていたとは知らず驚きです。人間はどうなのでしょうか。そして、それは個人差もあると思うと、一回でも奇跡的なことなのかもしれません。一生に一度のようなことは続けてはないにしても、日々の中で常に試行錯誤し、工夫や発見を続ける姿勢は求めていたいと思います。

  2. コメント

    「脱皮できない蛇は死ぬ」と言いますから、脱皮すべきときには、命懸けで脱皮せねばなりません。しかし、その実態は、これまでの殻を脱ぐことであり、それは、自分の価値観を手放し、成功体験を捨て、新しい価値観の下で新しいバランスを創り上げるということでしょう。それは「執着心」との闘いでもあり、「そのレベルの自分」との決別でもあります。「脱皮」させられるというよりは、堂々と「卒業」できるように、まだまだ自己変革していきたいものです。

  3. コメント

    致知に「人は自分が立っている所に立ち続けている限り、いくら真摯に自分を反省してみたところで知しれたものだ」という視座の転換の話がありました。身体として屈んだり寝そべったりするのは容易ですが、心の視座を移すということは簡単ではないように思います。脱皮とはその世界の転換とも言えるのかもしれません。

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