自然淘汰と変化の本質

「自然淘汰」という言葉があります。これは一般的には生物のうち環境に適応するものは栄え、そうでないものは滅びるといわれ時代の流れと共に優良なものが残りそうでないものは滅びるというように使われています。

これは自然農をしていたら理解することばかりですが、環境に適応しないものたちは元氣がなく周囲の虫や雑草たちに負けて消えてしまいます。それは昨日書いた苔も同じで、環境に順応していくことができなければ枯れてしまいます。

そのものが環境に整うのが適合するには、そのいのちや種の適応力も求められます。つまりそのものが淘汰されない実力が伴っているかどうかということです。それは長い歴史の中で強く逞しく育ちあらゆる環境に適応できるようにと進化を遂げていきます。正確には、厳しい環境の中でも生き残れるような変化を遂げていくのです。

つまり自然淘汰されないためには変化できるかどうか、環境に対して順応できるかどうかということになります。しかしもう一つここで問題があります。今の時代のように人工的に造られた世界は、実際の自然界とはかけ離れたものです。その人工的な世界にあまりにも順応してしまうと、もしもある日突然大災害で人工的な世界が滅んでしまえばそれまで人工的な変化に順応してきたものたちは同時に滅びてしまいます。ひょっとすれば、その時の急激な変化に順応できたものだけが自然淘汰を免れて生き残るかもしれません。

そう考えてみると、自然は何を残して何を淘汰するかということを常に篩にかけて選別している気がします。それは歴史が証明しています。

歴史の中で今の今まで生き残っているものは何か、そして滅んだのは何か、それを分別すれば何をもって変化というか、変化の本質とは何かということに気づくからです。

人類が今の時代まで生き残っている理由は何か。

引き続き、保育を深めながら子どもたちのために今できる最善を盡していきたいと思います。

 

  1. コメント

    刻々と環境が変わる中で自分自身はどうだろうかと思うと、これまでと同じままではいけないことを感じます。あれはどうか、これはどうだろうかと思うアイデアも動いてこそ花開くと思えば、なすべきことも見えてきます。これまでとは違う習慣を作って変わっていけるよう、訓練を積んでいきたいと思います。

  2. コメント

    自分の人生の中だけでも、いろんなものが変化し、多くのものが消滅しています。しかし、それは「自然淘汰」なのか「人工的な作り替え」なのか?!というところは、間違わないようにしたいものです。自分たちの都合や一時的な生き易さを優先し過ぎていないか?!天意を歴史的に見る努力をしたいと思います。

  3. コメント

    今の時代は人間によって意図的に変化させられているものが多く、それに順応することは不自然な負の循環になっていくように思えます。しかしそれも含めて天意だとすれば、全ては自分の心次第であり、自分はどうしたいのかが問われるように思います。大きなものから目の前の小さなものまで、信念をもって臨んでいきたいと思います。

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