先日の天神祭では、来庵していただいた方々や応援してくださる方々からたくさんのお土産をいただきました。当日は、野花をはじめお野菜や炊き込みご飯、ご当地の有名な食品や梅が枝餅などもいただき直来もまた豊かになりました。
むかしはそれぞれがお互いに欲しいものを交換していた時代もあったのですが、今ではお金が中心になっている金融社会ですからあまり物々交換をすることも少なくなってきているように思います。
以前、奈良の長谷寺に行ったときに「わらしべ長者」の話をお聴きすることがありました。それは1本のわらから物々交換を重ね、ついに長者になれたのは長谷寺の十一面観音さまのお告げに従ったからだったという話でした。具体的にはこう紹介されていました。
「今は昔、貧乏で身寄りのない青侍(あおさぶらひ 奉公人のこと)が長谷寺の十一面観音さまに「ご利益がいただけるなら夢で示して欲しい」と願をかけ、21日目の次の日の明け方、夢に僧が現れ「かわいそうだから授けものを与えてやろう、お前が寺を出て手に触れた物があったら捨てずに、たとえどんな物でも観音様から賜った物だと思うが良い」とお告げがあった。青侍がお寺の大門を出ようとしたとき、けつまずき、わらしべを手にする。それから不思議なことに、わらしべを身分のある女とミカン3個に交換し、出会う人ごとに、ミカン3個を布三反と、布三反を名馬1頭と、名馬1頭を田一町と米少しに次々と交換し、その後、田一町を近辺の人に小作させ家など建てて、ついに資産家になったのは長谷寺の観音さまの御利益である。」(今昔物語巻16の28より)
手に触れたものはすべて観音様からの授けもの、それを捨てずに大切にすれば必ずご御利益があるという話です。
不思議なことですが今回、天神祭にいただいたものもすべて天神様からいただいたものではないかと思うほどにみんなを潤し、時間が経過するとそれが多くの人たちの仕合せにつながっていきました。
「もったいない」というものを大切にする感謝の心は、それを受ける側の心次第です。
むかしのような物々交換は、いただいたものの意味やそのご縁や繋がりをより一層感じさせ感謝しやすいものです。目に見えない恩徳や、循環していく因果応報などむかしの人たちはもったいない心を意識してお互いに物々交換していたのではないかとも思います。
時代が変わっても、本来の智慧は普遍的に今の世の中にも遺っているものです。暮らしを復古起新しつつ大切な真心を子どもたちに伝承していきたいと思います。
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来て頂けるだけでも有難いことですが、そこに更にお心遣いを頂き、決して自分たちの力ではないことを感じます。天神祭を通して、人との繋がりや温もり、そういったことを教えてる頂いたのだと時間が経つにつれ、そう感じます。こういったことも天からの計らいだと思うと、真摯に学びを深めていきたいと、改めて思います。
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「手土産」「お土産」「お裾分け」というものは、有り難いご縁のものであり、欲しいものを購入するのとは根本的に違うものです。「いただきもの」の場合は、欲しいかどうかではなく、それを有難く頂戴し、どのように豊かにいただくかということが大事になるでしょう。「いただきもの」を通して、縁者の温かい気持ちをきちんと受け取り、豊かに味わえるようでありたいと思います。
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いただいたものだからこそ粗末には出来ない、ということを強く感じます。大量生産された新しいものばかりが溢れていたり、お店はおろか今はネットでものを購入するような時代ですが、そのようなものの扱いとは大きく異なるように思います。聴福庵にある様々なものも、廻りめぐって今私たちの目の前にあることを忘れずに大切に活かしていきたいと思います。