私の同志であり古くからの友人の一人に情熱家がいます。滅多には会わないのですが、お互いの存在によっていつも見守りあっています。存在が助けるというのは、お互い同じ思いをもって信念を貫いて生きていこうと誓っている仲間でありどんな困難があっても前進していこうと挑戦しているからです。
苦しい時こそ師友を想うように、師友に恥じないように生き方をしたいと心が動くのです。心というものは、ゆっくりとじっくりと成長していきます。時折、心が砕けそうになることもありますが心は自然に時を経ては治癒されまた新たな心をはぐくんでいくのです。
情熱家というのは、すべてに対して全力投球をします。思いが強く、まずは思いから入ります。言い換えれば信念とも言いますが、強い思いで事に当たります。他人が気分で話したことであっても真心で真剣に受け止めます。相手に対してではなく、自分自身に対して誠実であろうと命を懸けます。他人とぶつかることを恐れず、みんなのためにと思うからこそ本当のことを言いきります。状況に悲嘆するのではなく、自らが変わり状況を変えていけばいいと心から思っているのです。
この情熱の人は、別の言い方では「革新者」(イノベーター)であるとも言えます。有名な人物にアップルの創業者のスティーブ・ジョブズ氏、ソフトバンクの孫正義氏などがあります。これらは、新しい常識を創り出す人たちのことで、既成や既存の刷り込みをぶち壊していく人々です。
孫正義氏は革新する者は「情熱の人」であって「感情の人」ではないとも言い切ります。つまり「他人の評価や自分に向けられた感情によって影響を受けない」といいます。世の中や世間、周囲の人達からいわゆる「善人」と言われたい人であれば既成の秩序を壊すことなども不可能です。だからこそ他人の目を気にするなと言います。
そうはいっても、情熱家であっても人は人ですから誰にしろ感情があります。周りの非難や否定、誹りや嫉妬、近親者やわかってもらいたい人に弱っている時に全否定されたり辛い態度を取られたら誰でも深く傷つくのです。
しかしここからが情熱家の違うのは、それを「力」に換えることです。そして情熱家はその失敗を糧にさらなる躍進を遂げるのです。誰の目にもみても不幸で不運と思われる出来事に遭遇したとしても、そこから不死鳥のように蘇ってくる。これこそ情熱家の真骨頂です。
また情熱家は、消えかけた炭の小さな火であったとしてもそこからまた火を熾していきます。どんなことがあっても消えかけても消えることはない、心の炎を燃やしていくのです。そのいのちの燃やし方こそがその人の生き方であり、感情の情すらもすべてを丸ごと熱量に転換する生き様をやってのけるのです。
私自身、未来の世代のためにと今の世直しや世の中に挑んでいる以上、既成の価値観や常識に認められようとは思ってはいません。しかし自己確立がまだまだできず、些細なことに躓き地を這いぼろぼろになり汚れながらも澄ませていこうと葛藤の日々を過ごしています。
子どもたちのためにと信念で生きるからこそ、勇気を出して自分らしく自分の人生の作品を自分の納得するように仕立て上げていきたいと思います。心の炎を燃やしていきます。
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「情熱大陸」を観終わると熱いものを感じます。何かに打ち込んでいる姿は刺激となり、勇気となり、日曜日の夜に明日への活力が湧いてきます。温もりや優しさとは違う、熱量は人に勇気を与え、情熱をそう感じます。熱をもらうばかりでなく、自ら燃やしていく生き方を目指していきたいと思います。
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「自分自身に対して誠実である」ほんとうの「誠実さ」というのは、そういう姿を言うのでしょう。つい人のせいや何かのせいにしがちですが、本当はこの「自分と向き合う姿勢」が「自分の生き方」であり「信念の現れ」なのでしょう。その愚直さが多少格好悪くても、「天を相手に」生きたいものです。
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情熱というと熱く燃え盛っているイメージがありますが、人間の心の熱はもう少し複雑で、静かに粛々と燃えているような情熱もまたあるように思えます。どちらにしても何のためにという目的が明確だからこそどのようなものも熱源に変えられる事を思うと、そこがブレないよう意志を高めていきたいと思います。