この世のすべての生き物はこの世に生まれてきた以上、すべて「成長」していきます。どんなものでも成長しないものはなく、様々な体験や経験を通して発達していくのです。
人間であれば赤ちゃんの頃から成長して大人になっていきます。しかしこれは不思議な話で、体が大きくなって歳を経て大人と周りから言われるようになっても私たちは成長し続けます。つまりは大人になることが成長ではなく私たちはずっと死ぬまで成長し続け、さらには命のバトンを繋ぎながら永遠に成長していくのです。
そう考えると、今の自分も成長の途中であり親祖から今まで多くの先祖たちがずっと成長し続けて今の自分にバトンをつないでいます。その成長のバトンを受け取って私たちは今、様々な成長の御縁をいただきさらなる成長に挑んでいるのです。
自分のことだけを心配したり自分の代のことだけを考えすぎると、自分が何のために生まれてきたのかを見失ってしまうことがあります。人類の成長、そして世界の成長、子どもたち未来の成長のためにと自己を超越すれば成功よりも成長が必要であることが分かります。
一時的な成功を手にしたとしても、それが成長とは限りません。現代は成果主義が蔓延し真面目で責任感が強く優しすぎる人は、すぐに自分を責め過ぎてしまいます。しかし自分を責めても意味がなく、それよりも自分が成長していることに気づき、その失敗の体験から学習しさらなる成長のための挑戦をしていくしかありません。つまりそういう時こそ成長中であり成長の伸びしろが増えていくときだからです。
人生の最期に「いい人生だった」と完結できる人は、本当に多くのいろいろな方々が自分の成長を見守り自分というものを育ててくださったという感謝と共に自分はこの世で何よりも成長できたと実感し、その成長をもって次の世代に夢を託していける仕合せに出会っています。それが「成長主義」です。
この逆に人生を見失い自分を責めるという心理は、その成長の過程を否定するものです。抑圧社会の原因になっている権力者の人間支配による成果主義や結果主義が人を歪んだ個人主義の価値観に追い込んでいきます。
本来は失敗して辛く苦しい時こそ、人は人間として大きく成長していきます。つまりは失敗し困難が訪れるとき、そして苦しい時こそ自分の「伸びしろ」があることに人は気づけるのです。責めるのではなく、伸びしろがあると自分を奮い立たせてまた挑戦をし成長の糧にする。まさに人間が人生を歩むというのは、いかなるときでも「成長を続ける」という選択なのでしょう。これが学問の価値です。
現代では、すぐに簡単便利に楽を選んですぐに結果が出ることばかりが価値があるかのような考え方があります。努力をせず苦労をせず無理をせずに効果的に手に入る仕組みばかりが重宝されます、しかしその方法は果たして成長を選んだかということです。敢えて成長を選ぶということは、より苦労の多い方に舵を切るということです。成長をした人は、人間として修養され一つの立派な人格、人徳を得ます。すべての命には善悪勝敗正否はなく、唯一の「成長」があるだけなのでしょう。
最後に出光興産の出光佐三の言葉です。
『一つの目的を達成するのに非常に楽な道と非常に苦しい道とがあるとする。苦しい道をとっても、楽な道をとっても目的は達せられるが、どちらを選ぶかといえば我われは敢えて難路を選ぶ』
成長を選ぶことこそ、成長のバトンを受け継いだ私たちの使命です。子ども第一義の理念に恥じないように、常に成長を選んで挑戦を続けていきたいと思います。
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中高と長距離部に所属し練習した分、タイムが縮み、結果として出なくても練習をしていると速くなっている実感があったり、成長を感じやすく、この時手にしたものは、県大会出場であったり目に見える結果だったと感じます。ただ、今思えば大切な経験ではありましたが、今はそれ以上に卒業しても繋がっている友という存在は、学生時代には感じ得なかったものを教えてくれ、今の自分に至っていることを感じます。今、本気で走っても到底あの頃の自分には勝てませんが、一つの体験が今の自分を動かしていることは間違いありません。目の前の結果云々ではないものがあることを意識して、粛々と取り組んでいきたいと思います。
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「成長」というのは響きのいい言葉ですが、実際には苦しく辛いものでもあります。それは、自分を変えないといけないからです。これまでの殻を脱ぎ捨て脱皮しなければなりません。これまで頼っていたものを勇気を出して手放さなければなりません。また、成長中は「自分で今成長している」ということがわからず、逆に、停滞や頭打ちに見え、限界を感じたりするものです。そこを乗り越えるには、手のバトンを希望に、自分を信じるしかありません。成果の出ないときこそ、目先の結果ではなく自分の信念に基づいてがんばり続けたいと思います。
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全く無自覚的にこの世に生まれ落ちてきたからこそ、視野を拡げ大きな恩に気づき直していく必要があるように思えます。「ちちははもその父母もわが身なり、われを愛せよ、我を敬せよ」誰もがその存在すること自体が特別なのだということを忘れず、愛をもって親しみ、感謝の心で生きていきたいと思います。