乗り越えるということ

成長のことを思う時、自分の人生においてどこがもっとも成長したかと振り返るときそれは困難に立ち向かい困難を乗り越えた時のように思います。その困難は失敗の連続であったり、高い壁で八方ふさがりになったり、怪我や病気で苦しんだり、心身共に挫折したり、自分自身と向き合い「乗り越える」ことが求められた時のように思います。

この「乗り越える」とは何かといことです。

少し深めてみると、この乗り越えるのは順風満帆の時に使う言葉ではありません。逆境や困難の時に用いられます。人間は誰にしろ因果応報の原理が働きますから、今起きていることは過去の何かに起因しているものです。つまり変化は突然やった来たことではなく、必ずいつの日か起こりうる出来事がその時に発生したということになります。

その時、自分にとってはそれがとても受け容れ難い変化であり、その変化に順応しようと努力するとき、人はその意味を理解し努力をして乗り越えていくことができます。

この時の努力は、物事を福に転じたり、楽観的に今に集中したり、感謝にまで心を高めていくことをいいます。つまりは「心の持ち方を変えることができた」ということが乗り越えたということになるのです。

有難うという言葉も、難が有ると書いています。自分にとって困難な状況の時こそ、感謝で乗り越える、ありがとうで乗り切るという智慧が言葉に宿っています。

感謝の反対は当たり前といって、何でも当たり前になっていくとき困難に潰されていきます。ないものねだりではなく、如何にある方をみるか。そして足るを知り、頂いているものに感謝できるかが人を大きく成長させていくのかもしれません。

困難は人間を進歩向上するための砥石なのです。

一度しかない人生で、自分自身を向上させていくことは人格を磨き夢を実現するための唯一の手段です。歩みながら感謝、謙虚、そして素直と心の持ち方をどんな時でもその状態が維持できるように日々に精進していくしかありません。

子どもたちが憧れるような進歩向上を歩んでいきたいと思います。

 

  1. コメント

    12月末の朝5時、砂浜に吹き付ける海風の元の高校時代の合宿は、朝起きること、走ること、寒いこと、どれをとっても辛く、毎年わずか数日間とはいえ、あの当時は地獄でしかありませんでした。一時的な辛さからの解放は、その場しのぎですが、あの経験よりはまだいいと他の練習を耐えさせる何かはあったように感じます。そして、失恋しても時間が解決してくれたり、新しい出会いが前に向きさせてくれたりしたす。ただ、本当の意味で乗り越える力は、自ら体験し、苦難の末掴み取った感じもします。いろいろな人と接する中で、この人何か違うという雰囲気や安心感は、その人の経験を聞くと物語っているものがあります。乗り切る勢いも大切ですが、この時の意味を味わい深めていくことも大事にしていきたいと思います。

  2. コメント

    「乗り越える」ためには、「自分にとって不都合なこと」を受け入れる必要があるようです。言い訳をし、自己を正当化して「否定」しているだけではなかなか乗り越えることができません。また、「被害者意識」のなかにあるときも、そこから脱することができません。「いまの自分」を乗り越えるために、そして、「苦しみ」だけでなく「悲しみ」も乗り越えるだめに、「必要があって生じている不都合な現実」を受け入れる努力をしたいと思います。

  3. コメント

    乗り越える時も大事ですが、その先もまた大事なように思います。抗うような乗り越え方は独善的で本当の意味では変わらず、また同じことが繰り返されるように思います。困難の時は自他からの助けもいただけますが、同時に知らずのうちに自他を傷つけていることもあるように感じます。そういった意味では、成長したというよりも、成長させていただいたという気持ちが心底にある時、初めて少しは成長したと言えるのかもしれません。

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