本日、神奈川から社会福祉法人を中心に集まる組織の研修委員長と研修委員の3名の方が、12月7日に私が依頼された講演内容の打ち合わせにわざわざご来社いただいた。
研修を企画する方の意義とその本質が見えて、きっと当日はお互い気持ちよく一緒に学びあえそうな予感がしました。「講演をやる」のではなく、「講演をする」という主体性からくる協同的学びそのものが一番大事なことなのだろうと改めて気付かせていただきました。
お打ち合わせ後、ご会食も設定いただき本当に楽しいお時間を過ごすことができました。
つい初対面なのに6時間以上も話し込んでしまい、相変わらず私は園の先生とお話しをするのが心から好きなんだなと思いました。
私は色々と悩みや考え事があっても園の現場に行くとスッとそれがなくなります。
なぜなのか分かりませんが園長や主任、先生の悩み事を一緒に解決するのが楽しくて仕方がないんでしょうね。
それで子どもが変わったなどと感動して連絡があると嬉しくて感激してしまうばかりです。
これも師匠の指導の御蔭ですね。
さてこの会では、「社会福祉法人は一体何なのか?」という社会的意義を模索し、その根本的な思想において何が守るもので何を守らないのかを「クリエイティブ」な視点から追求していこうという主旨で研修しているそうです。
特に若手の社会福祉法人の経営者が中心にこの会をリードして運営しているとのこと。
今までにあまりお会いしたことのない、業界色が染まっていない方々でしたのでとてもびっくりしました。
今回の講演依頼では、カグヤがなぜ他の会社と違うのか?またこの社福の業界でブランドが急成長しているのか?ということが「クリエイティブ」のテーマにあったとご判断していただけ講演依頼をすることになったとのことでした。
先生方のお役に立ちたいと努力していることが、どんなカタチにしても声としてこのようにご評価いただくことは会社として本当に有難いことだと深い感謝を覚えました。
当日は期待に添えれるか分かりませんが、私が観て聴いて考えたことを少しでもご参加の皆様の知恵の一隅になればと心から願っています。
さて、今回の会食の中であった話を一つご紹介します。
「かねて昔から行われている行政主導の社会福祉法人への平等の補助という価値観が『文化』として深く根付いているとしたらこれをどう払拭できるのか?」
保育のサービスや規則、第3者評価、等々すべてのサービスは行政側を向いて行われている。保育園側から保護者やサービス対象者が必要だから補助をくださいと行政にいうのは現在ではまかり通ることはない。ただ補助枠の削減は時代とともにどんどん加速してく。それに対抗しようとしてもあまり現実的にはありえない理由になってしまい、行政はそれを特異な例であると請け負おうともしない。
今は、これの繰り返し。
そうしているうちに、実際の園運営をしている方はそのサービスが行政側のニーズなのかそれとも世論のニーズなのかはまったく分からないものになってしまっているのが今の保育界の実状だと思う。
今の時代は、画一的な平等を受け付けない多様な価値観を持った人たちが世の中にはたくさんいる。昔のように、平等が与えて側だけのものでは今の時代の人は満足してくれない。
こんな単純なニーズですら園では遠い別世界の話になっている。
これは本当に危険なことだと私は思う。
このように行政は立場上仕方がないのだろうが補助を平等に無理にしようとするあまり、世論の細やかなニーズを掴むことができない。それは現場に任せようとするけれど、お金の流れ方、補助の考え方が合っていないから継ぎ足し改革では一向によくなる兆しが見得ない。何かをすると何かを付け足すというような方法では広範囲を対象とした画一的な押し付け補助を行うのみにこれからもなるのだろう。
酷い話になるが管轄側が今までずっと長い期間「それ」(マンネリ化した刷り込み)に従わせて園運営させていながら、急にバウチャー制度など選択を与えられ現場側を見捨てたら園の経営はいきなり大変になるのが簡単に予測できる。
何だか、自己責任という行政側の都合の良い言葉がまたもや見え隠れする。。
本当にこの国の民族を大切に思っているのか疑問ばかりだ。
園では、「茹で蛙」ではないが昔からの文化が邪魔して気付く人は少ない。
きっと今の流れを見ると来たるべき時は突然やってくる感じだろう・・・
そうなる前に、準備しておかないといけないのものは一体何なのか?
競争原理など、社会福祉法人に果たして必要なのだろうかと私はいつも思う。
質を追求しながら何のための施設かを皆で一緒に目指しあう方が本質ではないだろうか・・・それは難しいのか?
それはある意味難しくある意味簡単に達成できると私は信じている。
大事なことは意味のないものを捨てる勇気と意味のあるものを選択する勇気だと思う。
そうやって今までも誇れる我が国の先人たちは大きく未来を変えてきたのだ。
カグヤは、今も社会福祉法人の意味をサービスに置き換えながら伝えている。
「今の時代」のニーズをよく感じ取り、行政主導の運営という刷り込みから真に脱却し、子どもたちのための本当の運営に変えていくことだと私は思う。
そのためにカグヤはよりサービスを向上させて、企業の競争原理ではない我が国の未来と世界の平和を担う「大切なものを守る」ための今の時代の園運営をこれからも価値観の理解できる方々とともに提案していきたいと思う。
すべては、私たちみんなの未来と世界のために。
コメント
本当は何のために遣っているのか意味を感じることなく、決まりきったことがただ
繰り返されてしまう様なことが起きてしまい、マンネリ化してしまうことが自分の
生活の中でも多く在ります。マンネリ化してしまうこともあることを認めると、そう
ならないための工夫が必要であり、絶えず、循環し続けるように、意識を上げ続ける
ことが出来る様な取り組みが自分の中で必要ではということを今回の内容により、
考えさせられます。それが実践ということでしょうか。実践し続けることで深みを
覚えると言う事を学び、変え続けることの方が安定しているのだということを
受け容れて前に前に進めていかなくてはいけないのではと気づかされました。
コメント
「講演をする」というような主体的な意識と行動が今の自分の中でも一番の課題ではないかと思うくらい大事だと感じます。今はまだまだ周りに依存して責任の所在すらはっきりしないまま行動してしまっている事が多くあります。振り返ると自分から決めていることがないということが正直わかります。同時に自分で決める事が出来ていないから、そこで本当に得る事ができる事を得る事が出来ずにいる事も気づかされます。しかし今のこの気づきを大事にやはり自分から決めるという事を怖がらずに楽しんで出来るようにやっていきたいと思います