150年古民家、聴福庵の天井板の張替えを先週から行っていますが今まで見ることもなかった立派な梁が現れてきました。重厚で歴史を刻んだ雰囲気のある飴色の偉大な梁は、屋根を支えるだけでなく家全体のバランスを保つ力の中心です。
改めてよくよく観察すると、大変なエネルギーが漲っておりその梁が家を保ち支えているのを感じてこれこそ家守主人の力の源泉であることを実感しました。大黒柱、小国柱などのすべての柱を繋ぎ橋渡しをするこの梁は、家のいのちの最重要部分ではないかと実感するのです。
改めて「梁」を深めるとこの梁という漢字の成り立ちは、水に両木をかけわたす形であると書かれます。これは「川の上を木で渡す橋」の意味で家の場合は内(うち)ですから内張り(内張)になりそれが、梁(はり)となったといいます。また他にもつっかい棒のことを「ばり」ということもあるそうでこの梁もばりも「張り」から来ているともいいます。この張りは「腫れる」が語源で丸く膨れた状態をいいます。漲るという字も、先頭に立つ勢い、力が充ち溢れるという意味で張り(梁)と同義です。
家をあらゆる自然災害から守るのが屋根瓦でしたが、その屋根瓦のすべての重みを受け止めて支えるのが「梁」です。すべての柱の上に水平に横たわりその重みをグッと堪えて偲び支えていく。まさに組織であれば中心核、大工ではすべての職人をまとめる頭、会社であればそれは社長であり、国家であれば大統領の役目です。大統領という字の統領は、棟梁から翻訳されたものです。そして家を建てるには棟上げという祭祀があるように、棟は家の天辺にあり屋根を司り安定を保ち続けます。
この「棟と梁」は常に一家の建物を支える重要な部分であり棟梁は集団の統率する中心的人物ですからそこから家を支えるもっとも重要な人物が棟(むね)や梁(はり)ということでそれを親方ではなく、粋で匠に優れ最も尊敬される人物という意味も込めて人々から「棟梁」と呼ばれ神を祭ってきたといいます。したがって棟梁になれる人は一家、一国、一族、一門の統率者であり中心となる人物が選ばれていたのです。
梁がむき出しになった天井を、聴福庵をずっと手掛けてくださっている棟梁と一緒にその梁を眺めていると棟梁が「このままいつまでもずっと梁を眺めていたい」と小さく呟いておられました。私も、屋根裏で日ごろは天井板によって隠れて日の目を見ないその姿を観て心に深く染み入る感動と尊敬の念を感じました。
家をもっとも支える存在とは観えないところをしっかりと全員の橋渡しをしている陰徳的存在なのかと感じ、改めて本来のリーダーや総責任者、そして主人としての覚悟を学び直した気がします。
私はこの古民家甦生そのものが経営の師であり人生の先生になりました。これは決して人間ではないし言葉で教えることはないけれど、そこには確かに人間としての生き方の証が随所に智慧として伝承されていたからです。私は今もこの伝統的な家によって保育をしていただいています。
世間は私のことを古民家好きな人や、普請道楽、また骨董趣味やマニアックな人などと勝手に評されたりします。そして本業の仕事もせずに古民家ばかり没頭していると周りからもいわれます。しかし私はその家から自分自身の生き方の研修をしていただき、生き様のご指導をいただき、自分自身を苦労によって成長させていただきました。実践とはその境地で没頭するまでやっていることを言うのであり、事物一体に真剣に没入しなければ学んだことにならないからです。ご縁を活かすというというのはそういうことなのです。
私はこの家から棟梁としての心構え、そして棟梁たる陰徳の心意気の意味など家から学ばせていただきました。きっと傍から見ても変人のように楽しんでやっていますからただの古民家狂いに見えるかもしれませんが、私はその都度に職人や道具からむかしの人々の心と対話し、智慧を伝承し、それを子どもたちの生き方に伝道していこうと思っているのです。そしてそれが保育の仕事につながっているからです。
暮らしとは本来、日々の心の持ち方のことであり、それをどのように美しいものにするか。そして道徳とはまさにその生き様としての実践をどのように積み重ねていくかということの連続なのです。実践とは現場で努力して高い志で深く学び続けることをいい、知識を単に増やすことではありません。実践するには苦労して楽しく道を歩む必要があり、学問を深め正しく実行することではじめて前進するのです。
つまりやっていることが良いか悪いか、正しいか間違っているか、関係あるかないかではなく果たして学んでいるか実践しているかが大切なのです。まさに匠とはそういう人物のことかもしれません。
引き続き、子ども第一義の理念に沿って深く広く学んでいきたいと思います。
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これまで梁を見る機会はありませんでしたが、今回写真を通してではありますが、家が建ってからずっと支え、今日に至っていると思うと凄いことです。「このままいつまでもずっと梁を眺めていたい」という棟梁の一言は、梁とどんな対話をしての一言だったのだろうと感じます。ドイツでは、「建物は第二の教師である」と言うと聞いたことがあります。聴福庵が照らし教えてくださっていることを一つでも多く、私も学んでいきたいと思います。
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日本家屋の魅力は何と言っても「梁」です。大きな家の梁を見たときは、ほんとうに圧倒されます。とても贅沢なつくりに感じますが、その存在こそが、いくつもの季節その家を支え、そこに暮らす人を守り続けるのでしょう。最近は「棟上げ」という言葉もほとんど聞かなくなりました。暮らしの中に、そういう存在が少なくなってきているのかもしれません。
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聴福庵との繋がりの中で初めて「棟梁」という言葉に触れました。棟梁ご自身のお人柄もありますが、この聴福庵にも同じような存在が家を守ってくれていることを思うとありがたい思いがします。同時に、現在の家ではこの言葉の意味も理解できなくなってしまうことを感じます。本来の言葉が形だけにならないよう、その背景にあるものを実感していきたいと思います。