昨日、友人の家の和室に備長炭を約500キロ投入し25キロの水晶を設置してきました。以前、聴福庵に来た際にとてもよく眠れたということで自宅もどうしても同じようにしたいということでお手伝いしました。
その他にも家のデザインのことを色々と質問されアドバイスをしました。友人からは仕事にした方がいいと勧められ、「センスはその人のものだからこのセンスを買いたい人がいる」と言われ何だか恥ずかしい気持ちになりました。
好きこそものの上手なれではないですが、何でも興味を持ち徹底的に没頭して深めればそのうちに知識だけではなく全体のイメージや具体的な方法、またそれができる職人さんたちと出会い、自分らしいデザインを創り上げていくことができるように思います。
このデザインという言葉はウィキペディアにはこう書かれます。
「デザインの語源はデッサン(dessin)と同じく、“計画を記号に表す”という意味のラテン語designareである。つまりデザインとは、ある問題を解決するために思考・概念の組み立てを行い、それを様々な媒体に応じて表現することと解される。日本では図案・意匠などと訳されて、単に表面を飾り立てることによって美しくみせる行為と解されるような社会的風潮もあったが、最近では語源の意味が広く理解・認識されつつある。態に現れないものを対象にその計画、行動指針を探ることも含まれ、就職に関するキャリアデザイン、生活デザイン等がこれにあたる。」
デザインはここにあるように決して見た目のところの装飾をすることに限らず、そのデザインするための哲学や理念、行動指針を含めたものを総称しているのがわかります。つまりデザイナーとは、その思想を体現させる職業とも言えます。考えていることを形にする、思想を人々に明確に表現できるようにする人だということです。一つのことを突き詰めて思想を磨ききっていくとそこにデザインは産まれます。そのデザインの産物が、一つの作品ということでしょう。
聴福庵という作品が認められ、その作品の質から具体的なデザインを直観され、具体的なお仕事をいただけるのもまた有難い成果の一つであろうと思います。
古民家甦生を通して暮らしに触れ、暮らしの道具に出会うことで本物とは何かということを知りました。こうやって体験したことがすぐに他の誰かのお役に立つというのは有難いことです。
引き続き、子どもたちのためにも学問を深め世のため人のために自分を活かしていきたいと思います。
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「デザイン力」とは、「思いをカタチに変える力」であり、「想いを実現していく力」でもあるでしょう。「デザイナー」という職でなくても、私たちはいろいろなものをデザインしながら生きなければなりません。その中でもっとも重要なのは、「自分の人生のデザイン」でしょう。「頭の思考」に振り回されず、「心の念い」をひとつずつ丁寧にカタチにしていきたいと思います。
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古民家で欄間や障子を見ると、様々な意匠に凝らされたものを見ることがあります。それでいて、光を通し部屋を仕切る機能も決して失わない機能美には、何も語らない計算高ささえ感じます。私自身もクリエイティブな活動をしている中には、形はどうあれ、形にするだけでなくそこで思索しているということもあることを思います。
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ある園の先生が「生活の中にアートがある、色々なものを子どもなりにデザインしていく」と仰っていたのを思い出します。それは感性の話だけではなく、それが育ちのことでもあり保育であることが感じられます。自然養鶏や発酵そして炭へ、社内のだんらんちなども、深まるほどに次へと進んできていること思うと、表現を楽しむかのように目指す目的へと向かって可能性を拡げていきたいと思います。