暮らしの改善

現代の生活を眺めているとむかしからの暮らしというものがほとんど失われていることに気づきます。仕事だけの日々で、むかしから大切に習慣づけられたものがなくなるほどに私たちは生きていくバランスを維持することが難しくなるように思います。

たとえば、むかしの伝統的な暮らしの中で「祈り」というものがあります。最近では宗教や信仰している人たちは続けていますが一般的には都会の経済中心の生活の中でそれを見る機会も減ってきているように思います。

朝起きると朝陽に手を合わせ太陽を拝み、おはようございますとみなさんへ挨拶をする。お昼になるとこんにちわと笑顔で言葉を交わし、夕方にはご先祖様へ一日の御礼と感謝を述べて御縁やつながりのぬくもりを感じながら夜にはお休みなさいと和らぎ眠る。このように日本人は日々に偉大な何かに見守られながら清々しく仕合せに生きていこうとする習慣を持っていたと聞いたことがあります。

最近では、朝起きて朝食も取らずに満員電車に乗り昼間はずっとパソコンに向きあい食事もコンビニなどで短時間で済ませ夜も残業したり、夜もお酒を浴びるように飲んだりして睡眠の質も落ちてしまっているといいます。

日々の生活習慣をどうしているかというのは、人生を創り上げていく上でとても大切なことのように思います。そういう私も現代のスピードと結果重視の世の中で仕事の質量も多く、過度なストレスもかかり心身は疲れますが今では習慣に助けられているようにも思います。

私の場合は早起きして前日の振り返りをじっくりと味わい、反省をして行動を決めたら起きてお祈りをし、このかんながらの道ブログを書いて前日に学んだことの意味を深めます。そして有難いノートという日記を書いたら前日の人生出来事から得た気づきを今度は気づきノートに書いていきます。その後は出社し仲間たちと天国言葉やツイテル体操を行い、面白い話を交代でやったり、団欒というブレストを行い脳を活性化させています。情報共有や追体験をすることで、みんなで取り組めているお仕事の豊かさや課題を一緒に持ち合います。お昼には電気を消して自然の光を浴びてちゃぶ台で玄米自然菜食のお弁当で共食をし、休憩時間は焙りたて珈琲や健康茶などを飲み頂き物のおやつを食べます。あとは、早めに帰宅し自炊をして炭火を熾し、ゆったりとお茶を飲み楽しいことを考えて感謝で眠り一日を終わります。

こんなことをただ繰り返しているだけですが、その習慣の御蔭で心身がひどく具合が悪いときでもなんとか今までやってこれたように思います。思い返せば、日々真剣に生きるほどに喜怒哀楽の連続ですし、現代のような脳化社会では考えることばかりで過度に脳も疲弊しています。もともとメンタルも強靭な方ではなく、自分で言うのも変ですが敏感で繊細で偏っていますからすぐにダメージを受けてしまいます。

しかしその分、「継続する」ということを恩師の背中から学び、どんなことがあっても続けていくということの大切さだけは維持してきました。それが信じることだと言い聞かせて日々の習慣を改善してきたように思います。

マザーテレサにこういう言葉があります。

「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。」

自分に気を付けるということは、自分を改善し続けるということです。日々に繰り返し反省しながら自分の言動や行動を省みる。そしてよくないなと思ったことがあったらそれを翌日に直していけるようにまたチャレンジしてみる。結局は、脳が思っているほど簡単に自分を変えることなどできず、少しずつ、リハビリのように習慣の方、いいかえれば「暮らし」を改善していくしかないように思います。

現在、私は暮らしの甦生に取り組んでいますがこの暮らしとは生きてい上での根本、幸福に健康な日々を送るための中心になっているように思います。中心こそバランスの源であり、その源をどうしていくかが自立の鍵なのかもしれません。

引き続き、子どもたちが安心して自分を生き切り自分の存在価値を肯定して生きられるように日々の学びを糧にして禍転じて福に昇華し、さらに飛躍の機会にしていきたいと思います。

 

  1. コメント

    『素晴らしき哉、人生!』という映画を観ました。その中で、一人が他の人の人生に与える影響力について考えさせられる内容でした。自分の暮らしと考えるのか、その暮らしが他の人の人生にまで影響を及ぼすのかと考えるのとでは大きな違いです。マザーテレサの言葉にもし「運命には気をつけなさい」と続いたら、どんな言葉が来るだろうかと思います。日々の繰り返しが繋がっていると思うと、一日一日を大切にしていきたいと思います。

  2. コメント

    生活が崩れていくときというのは、「習慣」も崩れていきます。いや、「習慣」を崩すから「生活」が乱れていくのかもしれません。そういう意味では、「習慣」は「自分自身をリセットする」という役割も果たしています。中でも「反省」や「内省」、そして「祈り」という習慣は、人を守ってくれます。そこが崩れるときが危機であると自覚しておきたいと思います。

  3. コメント

    以前、食間遺伝という言葉を聴いたことがあります。家庭の味付けや食事の習慣を通して病になるかならないかが決まり、それはあたかも遺伝のように親から子へと受け継がれる意味だったかと思います。暮らしというものも大人たちの影響を受けるのは子どもたちだからこそ、「しわ寄せ」ではなく「仕合わせ」の方を伝え遺していけるよう生き方を省みていきたいと思います。

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