すべての生き物には「休む」ことが必要です。生きていくためには、動的な時間と静的な時間がありその両方でいのちは調和しているからです。この休むというのは、単に動くか止まるかということではありません。これは例えば、冬の木々が春に向けて鋭気を養い力を蓄え調律するかのようなものです。
木々は見た目は動いていなくても、冬の間でもしっかりと根から水分を吸い上げます。木の中に貯めこんだ力を冬の間にじっくりと調和させています。動物たちや虫たちもまた冬眠するように秋までに得た養分を調整しゆっくりとじっくりと鋭気を養い休みを取ります。
休みというものは、単にじっとしているということではなく休むことでエネルギーを調和させているのです。どちらかというと呼吸に似ているように思います。呼吸は生まれてから死ぬまで止まることはありませんが、いつも身体との調和を保つために呼吸の回数や強弱を調整しています。これは自律神経というものが行いますが、私たちの無意識の中で自然に調律してくれているのです。
つまりは呼吸においては休むことは深呼吸であり、一休みすることで呼吸が整うのです。人間も日々の喧騒の中で忙しくすると呼吸を忘れてしまうものです。そういう時は深く内省をする時間を持ち、もう一度人生を調律する時間にしてみてもいいのかもしれません。
「休むことも仕事」という言葉もありますが、それは調和するために必要なことだからです。つまりは世間でいう単に活動するのを休むのではなく、全体と調和すること、調律すること、調整すること、つまり全体最適、全体快適であるように自分のバランスを取ることが休むことの本質なのです。
バランスが崩れると人は立っていることができなくなります。立ち上がるためには、バランスが必要で質の高い仕事をし続けるためにもバランス感覚はプロとしては何よりも大切な素養です。
木を見て森を観ずでは、木ばかりしか見えなくなり自分が何処に居るのかわからなくなりバランスは崩れる一方です。そういう時こそ、全体を見渡し視野を広げ森を観て目の前の木を観察し直すことも大切なことかもしれません。人生は長く、そして変化に富んでいます。今は動くときか休むときか、植物たちが見極めているように自分自身もそのタイミングとバランスを自然に倣い実践していくしかありません。
現代のように自然から乖離してしまっている生活の中でバランスを保つのは本当に難しいことです。だからこそ日々に自分がバランスを保つようなリズムや生活習慣、もしくは日々の日課や実践など繰り返し維持していくためのものを持つとバランスも意識しやすいように思います。
私の場合も早起きをしブログを書き、日記と書きと、いろいろと日課がありますがその御蔭様でバランスを保ちやすいように感じています。自分で自分をコントロールすることは、これからのさらなるスピード情報社会においては人間の自立の大切なテーマかもしれません。
引き続き、バランスが揺らいで大変な中でも前に進み歩み続けながら子どもたちに生き方を伝承していきたいと思います。
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休むこともそれぞれの認識があり、聞いてみなければ分からないこともあります。休んでいるようで休めていないのは、働いているようで働いているつもりになっているだけなのかもしれないと感じました。自転車に乗れるようになったのも、転んでバランスを掴んだからだと思うと、転びながらも学んでいく子どもたちのように必要なことなのだと、バランスの取り方を学んでいきたいと思います。
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「動くこと」を主に考えると、「動かない」のは「休む」ことになりますが、「動と静」というのは、共に必要な存在です。「動かないことでしか得られないもの」もありますし、「動いてはいけないとき」もあります。そういう意味では、「わざと動きを止める」という工夫と努力も必要なのではないでしょうか。
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休むこともまた子どもの頃からの積み重ねの習慣であり、そういった意味では子どもたちも上手く休めているのだろうかと感じます。調律するということを考えると、やはり人生として、とか生き方としてどうかと照らし合わせることになり、そこに 無理があればそもそもを見直す必要が出てくるように思えます。わけないという状態になった時に本来のものが観えてくるのかもしれません。