人は安心していなければ弱さをさらけ出すことができません。居心地がよい場所とは弱さを見せ合える環境があるということです。もしも何かを言ってしまってそれが悪いことになると決めつけていたり、裏切られる、見切られる、責められる、評価が下がるなどそういう観念をそれぞれが持ったままであれば安心することなどできません。
安心の居場所とは、そういうネガティブなことであっても平気で言い合えるような信頼関係があることで実現するとも言えます。人間は発達するためには、安心できる環境がなければなりません。それぞれの持ち味を活かすためにも、まずはじめに安心があることが何よりも前提になっているのです。
安心できる環境をつくるためには、それぞれが人間として成長できる場を用意する必要があります。そこには仕事とプライベートを分けたり、生き方と働き方を分けたりするものではなく人生で関わってくれる仲間や同志といった存在が必要になります。
同志や仲間というものは、時には非常に厳しい言葉であっても言葉を選ばずに愛情深く伝えます。また深いところで強く励まし高い信頼関係において絆を結びます。一緒にいて安心できるというのは、色々な次元のことがあるのです。
自分がどんな姿を見せても、芯のところは尊敬しあっている。共に目指している理想の実現のために発達し続けている、その過程が今の姿であると認識していることもまた大切なことかもしれません。
見守る組織というものは、安心組織です。
どのように安心する関係を築き上げているかが、そのチーム力の源泉になります。子どもたちが安心して発達するために、大人同士の関係もまた深めていきたいと思います。
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ほんとうの「安心」とは、そこに居るのに「何らかの条件を満たす必要がない」ということでもあるでしょう。よく、「条件付きで受け入れてもらえる」ことがありますが、それはほんとうの愛ではありません。「あるがままでいい、ありのままでいい」という「条件を出し合わない関係」が理想です。この「条件」というもの、そして「自分が出している条件」を見直す必要がありそうです。
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「見守る」という言葉を何度も聞き、聞き慣れてしまっているところがありますが、本当はどういうことなのか考え直さなければいけないと感じています。一言で意味が通じますが、その背景には膨大な考え方があり、一言では言い尽くせないことでもあります。どんな組織に所属してたかでその後の組織像も変わると思うと、安心出来る組織を一つでも多く構築していきたいと思います。
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チームで働くとはどのような状態かと思う一つに見守り合えている状態を言うように感じます。お互いに気を配り心を寄せている中で信じて任せたりフォローに入ったり。そしてお互いから、さらにはもっと多くの方々、大きなものから見守られていることを感じられている時、目の前の些細なことに視野を狭められることはないように思えます。見守る組織とは、皆が見守られていることを忘れない謙虚な組織の在り方なのかもしれません。