和室を整えていると、心も同時に整ってきます。和とはそもそも整い調和することで、すべての関係性があるべきところに配置され理想的な空間を産出すことを言うと私は思います。
たとえば、自然であれば美しい山に入るとそこには様々な自然が配置されています。木々はもちろんのこと、川のせせらぎや大きな岩、そして谷に空に獣道まで見事に調和して山の風景を彩ります。美しい山には、不自然な物はなくそこには自然に造形したものが見事に配置されているのです。この配置は一つではならず、あるべき場所にあるべきものがしっくりくる時に感得するものです。
このしっくりとは何か。これは私の感覚では根づくということです。たとえば、畑で苗を植えていきますがその場所に相応しいところに配置しなければ他の野菜たちとぶつかり安心して育つことができません。その苗が生きていくために必要な空間、またはその畑全体の配置を考えて植えていかなければそれぞれが結実していくことがありません。
同様に和室の空間の道具たちもまた、全体の空間にしっくりと来るように根付く場所を与えてあげなければそのものが宙ぶらりになってしまいます。そういう時は、片付けをして仕舞いまたその場所が空くのを待ってもらうか、もしくは別のところを探して配置していくしかありません。
この根づく感覚がしっくりであり、それは具体的にその場所でそのものを置いてみなければわかりません。しかしこのしっくりと来る感覚が分かれば、次第に心が落ち着くということもわかってきます。
お互いの関係性が結びつきやすいものか、その場所が居心地の善い場所か、それは物を置いてみればわかりますし、一緒に並べてみればわかります。私は古民家で、炭と水晶を一緒に活用することもありますが火と水というものも調和するととてもしっくりと来るものです。火鉢の鉄瓶から湯気が立っているのを観る感覚に癒される人が多いことと同じです。
それくらい万物が一体に調和すると、心もまた落ち着いてくるのです。この心の落ち着きこそがしっくりであり、しっくりくるときその場はとても清浄な場所になっていることが証明されます。
場づくりというものは、目には観えませんがマネージメントの本質であり人間の智慧の結集されたものです。私はこれを風土と定義しており、私の持つ風土感はこの一点に凝縮されているのです。
心が落ち着けば自ずから穢れは払われ、その場は清浄になりすべては調和します。調和を乱さないように常に配置には気を付け、常に配置に配慮することが思いやりや真心になっていくのです。
なかなかこれを誰でも伝わるように仕組み化するのは骨が折れる作業ですが、諦めずに子どもたちのためにカタチにしていきたいと思います。
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「調和」とは「バランス」であり、「自然な安定感」をいうのでしょう。しかし、ものごとはすべて「相対的」です。一方が変われば、他方も変わらないとバランスが保てません。そういう意味では、無常の中にあっては、「常にバランスを保つように動く」ということが、自然の姿なのでしょう。反応的に振り回されるのではなく、自然と最適を目指せるよう「とらわれない柔軟性」を養っておきたいと思います。
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新春スペシャルで瀬戸内寂聴さんがTVに出演されていました。色々と話をされている中で、自分が笑うことで相手も笑う。笑うことで怒りがおさまるというようなことを話されていました。人間関係において、お互いの主義主張だけではなく相手を慮ったり、不安や怒りに寄り添っていなかったら調和は図れず、頭で理解していても難しいことです。感情もしっくるような、心の持ち方を学んでいきたいと思います。
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中学生の姪っ子の冬休みの宿題は、おせち料理について調べてくることだそうです。作り方や食べた感想などを纏めてくるそうですが、今では和室でおせち料理を囲むということも難しくなってきているのかもしれません。ものごとの在り方が変わってくるとそれに伴い色々なものが廃れていきますが、無理強いして遺そうとするのではなく心地いい感覚から自然と遺るものを大事にしていきたいと思います。