昨日、海外に住む親戚の長男が聴福庵でオリジナルのダンスを披露してくれました。様々なダンスの大会に出たり、学校に通ったりと自分なりに好きなことを楽しんでいました。
若さの花もありますが、好きなことを本気で打ち込んでいる姿には引き込まれるものがありました。自分に正直に生きていくということは、誰かが教えてくれるわけではありません。自分自身が何よりも悔いのない生き方をしているかは、自分自身が一番よくわかっているからです。
人間は誰しも小さな自分への嘘が積もりに積もっていくうちに自分への不信を募らせていくものです。そのうちに仕上がってしまえば、本心を打ち明けることもなく本心のままでいることもできなくなります。
自分に嘘をつかないというのは、自分に正直になることですがこの正直になるということが頭ではわからないものです。他人に聴かれても正直になるとはどういうことか、それは自分勝手になることか、自分中心になることかと考えてしまいかえって周囲の反感を買う人も多いように思います。
そうではなく、人生は二度となく自分も二人といないのだから「悔いがないか」と自分に問うということが正直であるということなのです。
悔いのない生き方をする人たちは優先順位をもって生きています。自分が何を大切にしているかということ、そして何のためにこのいのちを使うか、そして志を立てるために何を諦め何に集中するかということが腹に落ちています。
だからこそ今に真剣に打ち込むことができるのであり、何よりも自分というものと正対して自分にしかない天命を生きていこうとするのです。天命を生きる人は仕合せな人であり、悔いのない人生を生きる人は幸福を味わいながら歩んでいくものです。
本来の自分が何を優先して生きようとしたか、それを忙しさの中で忘れないように理念や初心はあるのです。自分自身が自問自答することなしに仕合せを掴むこともできず、自分に正直に生きることなしに真の幸福もありません。
一期一会の人生が座右ですが、まだまだ反省することばかりです。
引き続き、自分に正直に生きることで子どもたちに希望の光を与えていきたいと思います。
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学校で習うことは、社会で生きていく上においてほんの一部で、あとは自分で学んで掴んでいくしかないのだと改めて感じます。正直さや素直さ、優しさや思いやりなど人としての道は、人と人の間でしか学べないことで、勉強の内容よりも覚えているのは部活を通してのことばかりです。どのような人に出会い、どのような友と付き合うか、その中で自分自身も磨かれ、磨きあっていけるよう、精進していきたいと思います。
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「心で思うことを、頭が否定する」ということが未だにたくさんあります。問題は「その頭が出してくる理屈を受け入れる自分がいる」ということです。こうなると「選択の問題」になってしまいます。いつも「選択に迷っている」ようでは心が定まっていません。志、腹決め、覚悟というレベルで生きているか?!を都度確認したいと思います。
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歩む道は誰かが決められるものでもなく、人それぞれ自分にしか歩めない道を踏みしめていくのだと思いますが、その道が一本であることは誰も変わらなくても、その道幅は人それぞれ異なるようにも思えます。極端に細い道のまま歩もうとすれば人とすれ違うこともなく自分自身も振り落とされてしまうかもしれません。時には道幅を少し拡げてみようとする柔軟さも、その道を歩むと決めた中では必要なことのように感じます。