人は成長し合う関係の中で信頼関係を築いていくものです。どちらか片方だけで成長しているかといっても能力が高まっただけで本来の成長ではありません。この成長とは、一緒に生きるという人間関係になっているということです。
これは夫婦も同じく、働くパートナーも同様に共に成長することではじめて成長したと言えるのです。この「共に」というものを大切にすることを「共存」といい、お互いに成長し合って発展していくことを「共栄」と言います。
共存共栄とは、一緒に成長し合う関係を築いていくということです。
もしも自分さえ生き残ればそれでいいと強く逞しいものだけが生き残ればいいという発想のもとに成果主義、能力主義で個人ばかりを優秀にしていく社会にすれば孤立無縁関係になっっていきます。必死に能力を磨いて生き残ろうとしても、その孤独感やプレッシャーで精神的に疲れていくものです。
殺伐とした関係の中で本当の信頼関係はできません。如何に安心できる関係を築くか、それはすべてこの共存共栄にかかっているといっても過言ではありません。
能力が高く強いものが生き残り、弱者は切り捨てていくという発想では世の中は優しくなりません。思いやりのない社会をいつまでも作ることに加担していたら、世の中で不仕合せな人が増えていくばかりです。お金ばっかりたくさん貯蓄して富裕層になったとしても心が貧しければそれでは真の豊かさを持ち合わせたのではありません。
真の豊かさは人間関係の中にある信頼関係にこそあります。人間は暮らしが安心していくのならそこに生きがいや遣り甲斐、働き甲斐や幸福感を感じることができるからです。
いい会社というものは、古今東西、歴史を鑑みても不況の時であっても社員を切り捨てるのではなくリストラをしないで全員で痛みを分け合って乗り切ろうとします。また敢えて障碍者を採用してみんなが仕事ができるように優しく思いやり、仕事も分け合って助け合って経営をしている会社は優しくて幸せな会社になって社会も豊かにしている上に業績もしっかりと伸びています。
決して能力主義や成果主義、比較評価といった弱肉強食の思いやりに欠けた環境で競わせなくても人間は思いやりや優しささえあれば、組織をよりいいものに換えていけるのです。
私が目指しているいい会社とは、思いやりを優先する優しい社会のことなのです。共存共栄の社会は一人の自覚からでも興せます。その一人一人が増えていくことが社会を改革していくことになります。
子どもたちの憧れる社会のために尽力していきたいと思います。
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この時期、太陽が出ていても風が吹くと寒く体が縮こまり、手もついポケットに入れてしまいます。人間関係においても寒々しい関係では、何も生まれません。季節が巡るように、時間を掛けることでまた変化もあるように感じます。子どもたちが、信頼できる大人が周りにいるからこそ、安心して成長していくように、子どもたちから、学んでいきたいと思います。
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「信頼関係」というのは、お互いに努力しないと続きません。その努力のひとつが、「成長し合う関係」を続けていくということでしょう。その背景には、「縁の意味」もあります。自分の感情や都合だけで考えるのではなく、「縁の意味」を深めながら、相互信頼への努力を続けていきたいものです。
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子どもの姿をよく見てどのように育っていきたいのかと見極めながら、それに必要な配慮や環境を用意していく、それは大人が期待する成長の姿ではなく子ども自らが成長していこうとする姿のように思えます。大人主体ではなく子ども主体になれば大人は変わる必要がありますが、それは成長でもあり子どもも真の成長をするのかもしれません。そこにもまた共存共栄があるように感じます。