永六輔さんという方がいます。私は生前あまり存じ上げなかったのですが、色々な方々から永六輔さんの言葉を贈られます。そこで最近になって見知ったのですが、坂本九さんの「上を向いて歩こう」の歌詞や、「こんにちは赤ちゃん」やドリフの「いい湯だな」などの作詞も手掛けておられたのを知り随分むかしからいろいろな場面で永六輔さんの言葉に身近に触れていたことがわかりました。
特に私は永六輔さんの言葉を知人に贈られるたびに、まるで永六輔さんが応援してくださっているような気持になり心がとても温かくなります。死してなお、言葉はいつまでも生き残り人々を応援し続けるというその力に魂の持つ不思議な存在を感じます。
いろいろな言葉はありますが、永六輔さんの放った言葉は魂が宿っています。もう出尽くしたはずの言葉が永六輔さんによって甦るのを拝見するとき、もっと大切に生きなければという思いを強くします。
「人って言うのは二度死ぬんだよ。個体が潰えたら一度目の死。そこから先、まだ生きているんだ。死んでも、誰かが自分のことを思ってくれている。誰かが、自分のことを記憶に残している、時折語ってくれる。これがある限りは、生きている。そして、この世界中で、誰一人として自分のことを覚えている人がいなくなったとき、二度目の死を迎えて人は死ぬんだよ。自分はいま生かされている。」
死を深く見つめて生きた永六輔さんの生き方を垣間見ることができます。この言葉にどれだけの人たちが救われてきたかと思うと、永六輔さんの人柄や思いやりが感じられます。
夜の星を見ていたら永六輔さんが見守っているかのようです。あの「見上げてごらん夜の星を」にはこうあります。
「手をつなごう僕と 追いかけよう夢を 二人なら 苦しくなんかないさ 見上げてごらん 夜の星を 小さな星の 小さな光が ささやかな幸せを うたってる 見上げてごらん 夜の星を 僕らのように 名もない星が ささやかな幸せを 祈ってる」
そして「生きているということは」の歌詞です。これは永六輔さんの生きる指標ですが、真心を盡したいと願い生きる人たちの指標にもなりますので紹介します。
「生きていくということは 誰かと手をつなぐこと つないだ手のぬくもりを 忘れないでいること めぐり逢い 愛しあい やがて別れの日 そのときに悔やまないように今日を明日を生きよう 人は一人では生きてゆけない 誰も一人では歩いてゆけない」
当たり前のことを忘れないように、永六輔さんの言葉を反芻しながら日々を豊かに味わい生きていきたいと思います。
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私は永六輔さんの現役時代を知っている世代ですが、私のイメージでは、「作詞家」というよりは「語り部」であり、何気ない言葉のすべてが「言霊」のようでした。また、その姿は、「何かと闘っている」ようでもありました。「語る言葉に力がある」というのは、「思いの強さ」の表れであり、また、「独自の世界観」の現れでもあったのでしょう。その言霊を味わいつつ、自分も「生きる言葉」を語れるようでありたいものです。
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永六輔さんが「遠くへ行きたい」という番組で、旅をしていたのを覚えています。祖父が毎週観ていたため、一緒に観ていましたが、今思えば永六輔さんが誰かも知らず、旅をしている人くらいにしか思っていなかったかもしれません。ただ、「見上げてごらん夜の星を」や「上を向いて歩こう」など、子どもでもスッと歌詞が入ってきて覚えられてしまうほど、わかりやすく綺麗なメロディです。カンボジアへ行った際に、現地の子どもたちが歌ってくれたのも覚えています。言葉の力は国境も超え、今も生き続けるのだと力が湧いてきます。
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ある人生の転機の時に、鍵山氏の『人間を磨く言葉』という小さな著書に出逢いました。その著書の冒頭には「これまでにもし、誰も語らなかった言葉が私の口から漏れたとしても、それは多くの古人から与えられたものでしかありません」とあり、受け継がれた言葉によって人の心が磨き続けられることを感じました。言葉と共に生きる、そのような感覚を大事にしていきたいと思います。