永六輔さんの言葉に「名医は一人では名医になりません。その医者を支えるチームがあって初めて名医になれるんです」があります。一人で名医になるのではなく、その名医を支えるチームがあってこそというのは本当に的を得ているように思います。
人間は一人で完ぺきに何でもできるようになるのではなく、自分の長所を理解してくれて自分の短所もまた転じて長所の役にたってくれるようにしてくれるのがチームの存在です。
人間には、ちょうど半分、良いと思えるところと悪いと思えるところがあります。良いところをだけをみて悪いところは目をつぶるというのが善いことなのは知っていますがどうしても悪いところの方が引き立ってしまい行動に蓋をしてしまいそうになるのが人情です。
しかしその悪いところは善いところなのだからとわかってくれる存在があり、チームのみんなで「バランス」を取っているチームはもはや地上最強ともいえるチームになっていきます。
どんなに偏った天才であったとしても、バランスを崩せばその天才は才能が活かされないまま落ちていきます。もちろん努力して自分の才能を磨いていくことは大切なことですが、それを共に活かしあうチームがなければ大成することはないように思います。
チームの支えがあってこそ名医というものも、個人の腕前と力量、経験だけですべてをやるのは限界なのです。人一人救おうとするのなら、チームのみんなの力で共に支え合い必要なところで必要なカバーや見守りを発揮していく必要があります。
病院というものが全体でチームであるように、外科だけがいても病気が治るわけではなくそこに携わる皆さんの協力によってその人は名医と呼ばれるのです。つまりは信頼があってこその名医とも言えます。
人間は信頼関係が築くことができるのなら誰しもが名医になります。名医の条件とは決して技能だけが優れているのではなく、信頼というものが優れているからこそ名医になるように私は思います。信頼を主軸にするのなら、当然そこには確かなチームメンバーが存在しチームがあってこそみんなは名医となれるのです。
みんなの意見を尊重しながら家族的に助け合い協力していくチームは信頼関係があります。チームで取り組めば、技術や能力だけで解決しようとはせず最善の方法をみんなで考えて取り組むことができていきます。そうやって信頼があれば当然、応援も産まれ、心も体も励まされて勇気も出てくるものです。
改めて名医や名優、名人など名がある人たちの周囲に徳が集まるようないいチームがあることを見つめ直し、才能や能力のみに偏らないように謙虚に自分の実力の意味を真摯に反省していきたいと思います。
コメント
時代の発達とともに「専門家」を目指したため、あらゆることが「細分化」されてしまいました。その結果、いろんな仕組みが「縦割り」になり、「横の連携」が取れなくなってしまいました。「自分の専門分野からしか見ない」ということになって、今では「何科に行けばいいのかわからない」というような状態になってしまっています。「自分の専門は何か」ではなく、「チームの一員」としての役割を自覚したいと思います。
コメント
ドラマの話にはなりますが、「医龍」や「コードブルー」は医療現場を舞台に各々の専門分野から患者を救うために、どうしたらいいかを毎回話しあっていました。毎回議論して、時にぶつかるというのも日常茶飯事なこととして描かれていました。名とつく方は、そのことを何度も、そしていつもおこなっていたのでなはいかと思うと、そこが出来るかどうかがチームとしても大きな差になるのだと感じます。
コメント
チームというのも色々とあり、あちらでは力が引き出され、あちらではそうでないというようなことも起こりえるように思いますが、そんな時はチームという幅を広げてしまうのも一つのコツなのかもしれません。大きく全体でお互いそれぞれの特性を活かしていける係わりを大事にしていきたいと思います。