「炭鉱のカナリア」という慣用句があります。これは炭鉱においてときおり発生するメタンや一酸化炭素といった窒息ガスや毒ガス早期発見のための警報としてカナリアという鳥が活用されたことが由来です。鉱山以外でも、戦場や犯罪捜査の現場で用いられたりします。また金融の世界では、株価の急落や景気変調のリスクを示すシグナルの意味で使われたりもします。
このカナリアはつねにさえずっているので、異常発生に先駆けまずは鳴き声が止みます。そうやってカナリアが危険を察知して騒ぎ立てることで、人々のいのちを救ったのです。ここから身を捨てて多くの人々を救うという意味でも用いられました。
聴福庵は、筑豊炭鉱の中心地にありかつての炭鉱王伊藤伝右衛門邸の正面にあります。この炭鉱はかつては日本の産業革命の際の全エネルギーのほとんどをこの地の石炭で賄ったほどに貢献してきた土地です。つまりひとつ前の時代の変化の礎になってきた歴史を持っている場所に建っています。
世界の進む方向が大量生産大量消費のグローバリゼーションの席巻で自然を覆いつくすほどの市場を拡大していく中で、大勢の人々が自転車操業的に資本主義経済の激流に流されるまま流されているだけでこのままでは危ないと気づいていても進む方向を誰も変えることができなくなっています。歴史に学べばこのまま進めば人類はかつてないほどの危機に晒されることになります。この濁流に柵をかける人たちがどれくらいいるかわかりませんし、崩壊しないように楔を打つ人がいつでてくるのかもわかりません。
世の中の道とはまるで逆走するかのように聴福庵はその反対の方へと孤軍奮闘しながら前進して小さな鳴き声で危機を発信していますがまるで「炭鉱のカナリア」そのもののようです。
人類が滅亡の危険になるとき、自然災害などの異常が発生する予兆、そして時代の変化の時に身を捨ててでも人々を守ろうとするカナリアです。これはまさか自画自賛をしたいのではありません、まさにもう心身もボロボロの満身創痍の状態で薄氷の上を戦々恐々として歩む心境ゆえにそう自称したのです。
こういう時、西条八十の童謡「かなりや」を心を頼りに歩んでいるのです。
「歌を忘れたカナリヤは後ろの山に棄てましょか
いえいえ それはなりませぬ
歌を忘れたカナリヤは背戸の小薮に埋めましょか
いえいえ それはなりませぬ
歌を忘れたカナリヤは柳の鞭でぶちましょか
いえいえ それはかわいそう
歌を忘れたカナリヤは象牙の舟に銀のかい
月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す」
これは西条八十が詩を捨てようかどうかと思い悩むときに作詞したものだといいます。居場所を見つけて美しい詩を奏でられるという希望を子どもたちに伝えようと謳ったものだと言います。人間の愛や美しさを信じるからこそ唄を忘れることはありません。
聴福庵の声を私がもしも世界へと届けるのなら、「炭鉱のカナリア」の遺志を伝えるのみです。いよいよ聴福庵は、始動を開始するうぶ声をあげはじめました。しっかりと見守り共に歩んでいきたいと思います。
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「聴福庵」の声は、既に世間に届き始めています。その数はまだまだ少ないかもしれませんが、着実に「その存在」を示しています。「聴福庵」には、それを造ろうとした念いが歴史として刻み込まれ始めています。もう少し時間はかかるかもしれませんが、日本中の志士たちが、必ずや仲間として現れ、その働きを大きくしていくでしょう。
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「遠い空の向こうに」という映画を以前観ました。内容は、ソ連から打ち上げられた人類初の人工衛星を見た、小さな炭鉱の町に住むアメリカの高校生がロケット作りに挑戦するもので、元NASAの技術者の実話を元に制作されていました。炭鉱夫とロケットという対比は、地下と空に夢を追う姿が描かれており、カナリアももしかしたら出ていたのかもしれませんが、気づかず見逃しました。知らない話でもそれを知るとそこにロマンを感じます。いつか子どもたちに語り継ぐ時、どういった話が出来るのか楽しみです。
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先日100年前の人たちが想像する100年後のイメージを見ましたが、当然現実とは異なる部分が多くありました。しかし140年後に同じ形でこの古民家が遺っているというのは、まさか当時の人々は想像しなかったかもしれません。周囲が変わった分、変わらないものが変わって見えるという凄みを感じます。変動の世の中にあっても立ち返ることが出来る、民族の安心基地と言えるかもしれません。