組織で協力しやすい職場環境を築くのに情報共有というものがあります。これは単に、自分の知っている情報を他と共有するという意味もありますが、他を巻き込んで一緒に情報を掘り下げていくという意味もあります。
この情報とは、日本で造られた造語で江戸時代には存在しなかった言葉です。実際には、軍隊の敵情報告という言葉の真ん中の2語を抜粋し「情報」と使ったことから生まれたそうです。
ではそれまではどのような言葉が、代わりに存在していたのか。
一説によれば現在の情報量は、平安時代の人の一生分、江戸時代の人の一年分であるとも言われます。つまり、むかしの人はそれだけ情報が少ない中で問題もなく生活をしてきたということです。知らなくてもいいことは知らなくても済む社會があったということです。
現代は、日々に猛烈な量の情報が黙っていても入ってきますから無人島や山奥で生活しない限りは情報が追いかけてくるものです。世界の隅っこで起きた事件ですら、翌日には世界中の人たちが知っているという事実。江戸時代は、飛脚で何日もかけて短い文章を一部の人たちの間で行われていたのを見ると如何に世の中が変わってしまったかも観えてくるものです。
むかしは少ない情報量であっても、それを察知するだけの信頼関係がありました。言い方を換えるのなら、心が通じ合っていたとも言えます。情報過多の時代は、心を通じ合わせるというコミュニケーションが頭で理解することばかりになり少なくなってきたように思います。
現代のように複雑になってくればくるほどコミュニケーションも複雑になります。どのように心を通じ合わせていくかは、それぞれの意識にかかっています。意識を合わせていくというのは心を通わせ合う情報共有をするということです。
子どもたちが安心して協力し合う社会になっていくように今の私たちが道筋をつけていきたいと思います。
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yahoo!ニュースも数時間毎に更新され、目についたものを見ている自分がいます。様々なところで情報が発信され、私もまたブログやメルマガという形で情報を出し、誰かに見て知ってもらいたい想いがそれぞれにあるのだと感じます。傾聴、共感、受容、感謝があってはじめて相手に伝わると思うと、伝えようすることよりもこの4つのポイントを大事にしていきたいと思います。
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「情報」はあっても「関心」がなければ繋がりません。そして、「関心」はあっても「通じて」いなければうまく流れないでしょう。同じ社会に生きていても、「何に関心があり、どこと通じ、誰と通じているか?!」によって、見えている世界は違います。中途半端な情報に振り回されないように、「意識の繋がり」を確認し直す必要がありそうです。
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情報量が多くなった分、情報というもの自体の持つ意味が大きくなり、それを目的に合わせて握ったり錯綜させたりという情報戦が酷く繰り広げられているように思います。情報もいい意味での環境設定として、もともと合ったはずの豊かさの方を大事に共有していきたいと思います。