昨日は、福岡県朝倉市にある知人の邸宅のデザインとリメイクを依頼され現地で大工棟梁や職人さんたちと打ち合わせを行いました。伝統工法を近代の建物に導入するのは、現在取り組んでいる古民家甦生とは異なります。
しかしどちらにしても「温故知新」の両方を体験することができ、私としては非常に貴重な学び直しになっています。古民家の方は、むかしのものを現代に甦生させながら新しく見立て直して活かし直す工夫。そして新築の方は、むかしの智慧を活かしながら落ち着きのある空間に仕立て直す工夫。
そのどちらも、そのものの本質を見極める知恵と工夫と創造力、伝統技術の知識や風土を活かす能力などが求められ改めて私が取り組んでいる復古起新の意味や価値を感じ直しているところです。
時代が変わっても、変わらないものと変えてはならないものがある。不易と流行とも言いますが、これを建築のデザインや道具の活用を通して現代に復古起新することで伝統を継承し伝道を弘めることができています。
私ならこうするという具体的な実績ができることが有難く、何かしらの観えない応援を感じることばかりです。
今回のことを通してはっきりと自覚したものは、古くて新しいもの、新しくても古いものがあるということ、そしてそれは用いる側・使い手の意識が決めるものであるという真実です。
つまり温故知新の本質とは、意識の温故知新であるということです。
これに気づいたことは同様の道を通る人たちには偉大なことで、いつか安藤昌益の自然真営道や世阿弥の風姿花伝のように一冊の本にして子どもたちのために遺しておきたいほどです。
引き続き、子どもたちに譲り遺そうとするものを直観し本業の戦略につなげていきたいと思います。
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ジェネレーションギャップという言葉がありますが、世代に限らず相違はどこでもあることでそれが普通なのだと思います。提案書などを見直していく中で、相手に伝わってこそ意味があり、そのためには一層本質を捉え、それを相手の分かる言葉や事例に落とし込む必要性を感じますが、それは温故知新にも似た面白さなのかもしれません。降りていく伝え方というものを考えていきたいと思います。
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「暮らし」には重要なものがいろいろあります。「意識」とは、何を暮らし中心に置いて生きるか?!であり、何を家族の最重要と位置づけるか?!ということでもあるでしょう。「自然との共生」なのか、「団欒」なのか、あるいは「健康」なのか、「便利さ」なのか、これらの調和を図るものが「受け継がれてきた生活の智慧」です。この「智慧の具現化」こそ残していくべきものではないでしょうか。
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「論語と算盤」ではないですが、今の時代にどう生きて、どう社会に活かしていくかを考えていくことが、意識の温故知新なのだと感じました。致知でも時折、渋沢栄一氏のことが記事にあり、何を持って今の時代に生きていくかを問われているように感じます。