何かの物事が発生した時、それをどのように受け止めるかはその後の未来を変えていくように思います。物事はありのままあるがままに発生しますが、人間は思い込みによってその事実を歪めていくものです。自分というものの価値観や考え方、その視野でのみ物事を捉えればより一層、視野は狭くなり自分の殻に閉じこもってしまうからです。
如何に自分の思い込みを取り払うか、この工夫が視野を広めるためのポイントになってくるように思います。
例えば、その具体的な方法論の一つに「天からのメッセージ」というものがあります。何か自分にとって感情が揺さぶられるような出来事に直面するとき、これは何のメッセージであろうかと自分の視野に囚われない視座を持つということです。人間は、メッセージを受け取れるか受け取れないかでその後の進路が変わっていきます。
現実というものは実は全てが過不足なく一切が現れており、その機縁を活かすも殺すも自分次第でもあります。機縁が熟すのをまったり、機会と捉えて機智を得るのもまた現実があるがままに鮮明に観えている人は融通無碍に自分の運命と道を楽しみます。
現実の苦しさばかりの日々は視野の狭さをさらに増大させ、固執固着した歪んだ観念によって現実を自分の思う世界に挿げ替えてしまいます。その挿げ替えがポジティブで豊かで楽しく自由であるのなら仕合せですが、思い通りにならないとばかりに抗っていても不安や怒りで健康を害するばかりです。
あるがままを受け容れる訓練というのは、全体の中にある自分に気づくことのように思います。あの花も、あの虫も、あの木々もあの人間も、すべては等しくこの世に存在しています。自分もまたその一つであり、何も変わらないその一部分です。特段、その花だけが世界を変えているのではなく、世界の中にその花もあるがままに咲いているだけです。
現実のただなかに生きていくということは、あるがままで生きていくということなのでしょう。生まれてきただけで愛され、生まれてきただけで自由、そういう慈愛をもって生きる人には感謝は離れないように思います。感謝を忘れないために人は痛みを感じます、痛みは感謝に気づくための貴重な種蒔きかもしれません。
最後にナポレオン・ヒル氏の言葉です。
「あらゆる逆境、心の痛みは、それと同等かそれ以上の恩恵の種を含んでいる」
引き続き、あの日々に仕合せで楽しく豊かに笑っている幼い子どもたちが憧れるような社會を創るために解き放ってみたいと思います。
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「普通の人が終わろうとする時アーティストは、まだ終わりではない、まだその先に何かがある可能性があると言う。」とても前向きで自分自身を信じる強さを感じます。もう終わりと思うか、まだまだこれからでは大きな違いですし、何年も経ったらどれだけの差が生まれるだろうかと思います。そう思うと、その差がその決断が生き方を決めていくとすると、目の前のことだけでない、様々なことに繋がっていることを感じます。忙しい時ほど、何か意味があるのだと習慣を積んでいきたいと思います。
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父と娘が同じタイミングで骨折をしましたが、お互いに励まし合うような姿を見ると不思議と笑みが零れます。大変ではありますが明るい姿が見られ、周囲の人が気にかけてくれたり手伝ってくれること、また同じ体験の人に共感する体験にもなるかと思うと、これも全体にとって必要なことだと言えるのかもしれません。物事の真実は一つでも見る人によってその見え方や受け取り方が違うのもまた個性、そんな姿もまた一人では得られない面白さであり、学び合っていきたいと思います。
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松陰先生は、順境であっても怠らず、逆境であっても狼狽えず、いかなる時も「ひとつの態度」で対処している。また、いかなる境遇にあっても「それを忘れたかのようでいられる」と仰っていました。結局、自分の都合で一喜一憂しているようでは「メッセージ」は素直に読み取れないのでしょう。「それを忘れたかのようでいられる」という態度を目指したいと思います。