自分を大切にして生きる姿

人は自分の初心や理念、生き方が定まっていないと他人の価値観に流されてしまうものです。世間一般の幸福を、テレビや雑誌、身近な人たちの評価ですぐに憧れてしまいます。そうしてそれが幸福になることだと世間に刷り込まれると、それを手に入れようと躍起になっていくものです。

最近、テレビで見かけるお金持ちと結婚というものや急成長して有名になった人などが幸福な人だというイメージを持つものです。しかし、本当にそれがしたかったのかと自分を深く省みるとそうではないことがすぐにわかります。

しかしそれを立ち止まって考える暇がなく、その欲望や願望に流されてしまいやすいのは自分の中に劣等感があるからです。人は劣等感を持ち、自分には足りていない、自分は不足していると思うと、ないものねだりをはじめます。ないものばかり見ていますから、あるものが目に入ってきにくくなってきます。

そうやってあるものは自分が幸福になっているものであるのに、敢えてないものばかりを見ては自分が不幸であるかのように被害者意識を持つようになるのです。

本来、自分は何をしたかったのかともともとの動機を持つことはブレずに生きていくための羅針盤になります。周りに合わせて他人の価値観で生きていくのではなく、自分はいったいどうしたいのか、どう生きたいかということを大切にしていくことが「自分を大切にしていく」ことになるからです。

自分を大切に生きている人は、劣等感で生きていきません。むしろ、平等に周囲の人たちの仕合せを保障しながら一緒に歩んでいくのです。相手の仕合せを尊重しながら自分も一緒に幸せになっていく。このみんなで仕合せを創造していくことができるのは、同じ動機を持っている仲間と出会い、その仲間と夢を共有することができるからです。

今の時代は、そこまでの動機や本心をなかなかオープンに話し合う機会も場もありませんから心を許し合う仲間も出会いにくいのかもしれません。しかし出会いこそが何よりも一緒に夢を見る機会になりますからいい出会いを忘れないで初心を貫けば幸せもまた隣に寄り添うように思います。

自分を大切にして生きる姿を子どもたちに譲り遺してつないでいきたいと思います。

  1. コメント

    「幸せか」という問いは大切な問いだと感じています。何か起きた時にどう捉えるかで物事の捉え方技一変すると思うと、不足ではなくある方を見る大切さを感じます。本心で語り合える仲間に出会えることは、それだけで幸せになことなのかもしれません。

  2. コメント

    「劣等感」というものは誰にでもあるでしょう。しかし、「この劣等感をバネにがんばれる人」と、「劣等感に縛られて、人生の目的を見失ってしまう人」に分かれます。劣等感に縛られ自分の人生を見失って、「劣等感の裏返し」でがんばっている姿は、どこか不自然さがあります。日々の努力が「劣等感の裏返し」になっていないか?!その動機を点検しておきたいと思います。

  3. コメント

    同じ言葉でも行動でも見えるカタチは同じであっても、その意識が違うだけで全く別物になるというのは意外と大きなことなのかもしれません。自分に矢印を向けるという言葉も相対的なものとして捉えてしまいがちですが、自分は本当はどうしたいのかという唯一のものから物事を観ていきたいと思います。

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