人間の脳は、自分の見たいように変換し自分の都合の良いように現実を書き換えていく力を持っています。そのため、刷り込みなどの洗脳的な教育を受けるとそれが変えることができない現実であると認識してしまい自分に制限をかけてしまうことがあります。
自分の制限を自分にかけるということがどういうことかというと、いくら目の前に手が届くところに取りたい物が置いてあったとしてもどうしても心理的に取ることができないのです。その時の脳はいくらでも理由をつけて、その物を取ってはならないと制限をかけます。知識というものは脳が司るため、その知識を知っていることによってできないと思い込むことでそれが選択肢からも外れてしまうのです。
思い込みや偏見を作り出すこの脳とどのように付き合っていくか、これはこれからの時代の重要な要素になっていくように思います。なぜなら脳の状態が現実世界に反映されていき仮想の世界で生きていく人が増えていくからです。これだけ日々の情報が氾濫していけば脳の情報処理も追いつかなくなっていきます。人間はコンピューターではありませんから、脳で処理する以前に心が感知し感情で情報を調和していく作業が必要です。
現在、メンタルコーチングなどが必要になってきたのは多様性がさらに加速度的に発展していくこの時代のおいてこの感情の調和が追い付かない人が増えてきたからでもあります。幼少期から自分に与えた環境が性格に影響を及ぼしてきましたが、その性格を変えなければならないときにサポートが必要になってきたのです。
自分ではわからないことを導いてくれたり、トレーニングを手伝ってくれたり、適切なアドバイスで客観視を手伝ってくれたり、自己分析をしてくれたり、まさにコーチングが必要なのです。
生き方を転換するというのは、自分というものを見つめ直し新しい自分、本来の自分を取り戻し人格を磨き直すということなのでしょう。
自分の生き方と向き合い生き方を変えた人ほど、その人の取り組んできた過程は同様に生き方を変えたいと思っている人たちの勇気や自信になっていきます。メンターとも言いますが、このメンタルをコーチングする存在によって、自分自身の刷り込みを知り、自分自身の潜在意識を知り、自分自身の脳の癖や見え方を知り、自分自身の意識を知り、本当の自分自身という存在を確認できるのです。
一人で悩む必要はなく、同じように生き方を変えてきた人たちのアドバイスをもらいそれを素直に聴いて自分と正対していくことで歪みを矯正していくことはできます。人は後天的にも脳との折り合いをつけ、性格をいつからでも変えていくことはできるのです。
子どもたちが大人になる過程で刷り込まれた歪んだ様々な認識を、取り払い仕合せに生き方を変えていけるように見守る学びを深めていきたいと思います。
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遺された先人たちの生き様はそれ自体がメンターでもあり、いつまでも私たちのこと見守って下さっていると言えるように思います。直接教えを乞うことはことは出来ませんが、だからこそ受けての認識と力が試されるものであり、心の声をしっかりと聴いていく必要があるものと感じます。本当に大切にしたいものから物事を捉えていき、自己を変革し続けていきたいと思います。
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プロのスポーツプレイヤーであればあるほど、コーチがいて二人三脚で駆け上がっていることを感じます。元からの才能があっても力を発揮できなければ、プロの世界ではなおさら活躍出来ないのだと感じます。そう思って自分自身を省みれば、身の回りの人に意見を求めるということを至極当然のことなのだと感じます。独りよがりの時ほど、危険なサインなのだと自覚することも大事なのだと感じます。
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「思い込み」や「偏見」は、ときに「自己限定」を生み出し、「自己の限界」をつくります。そこに現れる「限界」は、客観的なものではなく、大きな錯覚といえるかもしれません。「自分の思い込みで自分の限界をつくり、その網にひっかかって停滞してしまう」というのは、おかしな話です。「ほんとうの自分」を見失わないために、「自己限定している自分」としっかり向き合いたいと思います。