恥を知る~日本人の精神文化~

昨日は鹿児島県知覧にある富屋旅館で理念研修を行いました。ここの旅館は、特攻の母として多くの方々に親しまれた鳥濱トメさんが開いた富屋食堂がそのまま時代の変遷を経て継承されている場所です。

日本人なら一度は訪れたい場所としてここの富屋旅館があります。なぜ日本人ならというのかといえば、ここには日本人の精神文化の源流が「場・間・和」の教え(知恵)が旅館と共に息づいているからです。

私たちはつい当たり前のことを忘れてしまいますが、私たちの血肉には先祖代々から伝承されてきた生き方というものがあります。この生き方とは、日本人の特徴でもあり日本人の人格でもあります。

例えば、震災の時など日本国民が冷静さや威厳を保って対応している様子を世界の各地で称賛されました。どのような状況下であっても日本人が略奪や暴動を起こさず、相互に助け合っている和の姿に世界が感動するのです。

今ではあまり日本人のことを話すと右だとか宗教だとか、色々と批判されたりします。しかし本来は自分たちのルーツがどのようなもので何を大切に生きてきたかということが誇りであり、みんなそれを大切にしているから自信をもって自分の国の素晴らしさや美点をもって世界の善きものと調和し尊重し合って共存共栄していくことができるのです。

そんな当たり前のことを思い出さないくらい、日本人は誇りを失ってしまったように私は思います。日本人として美しいと感じる生き方や、素晴らしいと思える精神性は人間として私たちがどのようにこれまで成長してきたかといった発達の真実であり努力の結晶なのです。

その一つには、「武士道」というものがあります。私も祖父や父から「恥を知る」という教えを伝承されました。これは江戸中期の侍の本「葉隠」の中で「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉に通じます。これは、生き方として死んだ身になっていれば、恥も間違いもなく正しく生きることができるという意味で解釈されます。

いつ死んでも恥じないような生き方をせよ、つまりは自分に対して正直に、素直に、そして後悔がなく立派な人間になりなさいということにつながっています。新渡戸稲造はこの武士道の源流は孔子のいう仁義そのものであるといいます。

日本人は元来、その精神文化の中にこの仁義というものをもっています。みんなが己を律し、己に打ち克ち、お互いに尊重し合って想い合って生きていく民族性があることは世界が認めているのです。

そしてこれは親から子へ、先祖から子孫へと代々受け継がれてきた民族の智慧の結晶り、親祖からの初心なのです。初心を忘れてしまえば私たちはあらゆるものに流されてしまいます。そうならないように、むかしはみんなで恥を重んじ、恥ずかしくない生き方をみんなで守ってきたのです。

災害や震災のとき、私たちに日本人がなぜお互いに律し合い想い合うのが世界に称賛されるのか。それはこの恥を知る心をみんなで守ってきたからなのです。

道徳というものは、徳の道とかくように代々徳が積まれてきた道のことです。日本人の徳とはこの恥の精神であり、それを代々の先人たちが守ってきたことで私たちは何を優先して生きてきたかを知り、どのような初心を持ち続けるかということを学ぶ学問なのです。

子どもたちが、日本人として大切なことを忘れないように引き続き私にできる使命を私の身の丈でこれからも全うしていきたいと思います。

  1. コメント

    投げかけられる質問は考えさせられるものばかりで、自分の回答が次の質問となり、矢継ぎ早の展開ははじめての体験でした。自分自身の認識を改めて理解し、どれだけの視座に立ち、何を行なっているか。言葉を知識で理解しているだけでは、用をなさないことも感じました。先日誕生日が来て一つの節目を迎えましたが、今回の研修を体験してこそ、本当の意味で誕生日を迎えられた感覚を得ました。大切な機会と学びを今後に活かしていきたいと思います。

  2. コメント

    「卑怯なことをするな」と「恥ずかしいことをするな」という二つの「教え」を守っていれば、人は道を誤らないと言われました。ここには、「自分のこの考え方、このやり方は卑怯ではないのか?!」「自分のこの姿勢や態度は恥ずかしいことではないのか?!」という自問が常にあります。この「自問自答」が「克己心」を養い、「修身」となって自分を整えていったのでしょう。「日本人が守ってきた教えは何であるか?!」をきちんと学び直したいと思います。

  3. コメント

    特攻隊員の方々の決意の書には至誠や大和魂を感じる言葉が多く、留め置かましと言われたその魂がどれほど彼らを励ましたであろうかと感じ入りました。開国の危機から連面と続いてきたものをハッキリと捉えながら同じ想いで命を尽くされたのだと思います。士則七則は明治時代の多くの人々の気概であったと聴いたことがあります。なぜ教えが廃れたのか、今を生きる私たちがそれを知り、取り戻していく必要性を感じます。

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