刷り込みに気づく

物事には見方というものがあります。その人がどのような見方をしているか、それは生き方が左右していることがわかります。あるものを見る人と、ないものばかりを見る人では生き方が異なります。

そして見方や生き方が異なるから判断もまたその通りになってきます。例えば、ないものばかりを見る人は常に物事の悪い方やマイナスな方ばかりに意識を持っています。何か事があればよくなかった方、できなかった方、ダメだった方に意識を持つようになります。すると、改善という言葉に対してもマイナスをプラスにする方法のことだと思い込んでしまうのです。

その逆に、あるものばかりを見る人は常に物事の善い方やプラスの方を意識します。何か事があれば楽観的にこのままでいい、ちょうどいい、うまくいっていると感じポジティブな意識を持つようになります。すると改善という言葉は、プラスがもっと良くなる、さらにいいことになると思い込んでいきます。

これは意識の差が出ていることは明白です。人間、足るを知る意識の人の方が仕合せになるからです。ないものねだりばかりをしては不平不満をして生きていては笑顔もなくなりますし、周囲の人間関係も良好に築けません。

そしてこの意識の差は一生を左右していきます。生き方を変えるというのは、この物事の見方を変えることをいいます。自分の脳の癖や、思考のパターンを変革していくことは行動を変えて習慣を換えていくしかありません。

この習慣を換えていくために人は、敢えて今までの自分と決別した行動をとったり、勇気を出して今までのものを手放したりすることで成長していきます。ありたい自分を創り上げていくことは、自分自身を新たに創造していくことです。それは新しい自分に出会うことであり、自分自身を自分で育てていく主人になることです。

自分の意識を改変していくということを意識するには、自分自身の意識が人生を左右していることに気づくのが先です。周りばかりを見るのではなく、自分の物事の見方がどうなっているのかを自らがメンテナンスしていくのが何よりも優先だからです。

自己改革というのは、価値観の改革であり世界観の改革です。思い通りにいかないときこそ、感情が揺さぶられ苦しい時こそ、一度、自分自身の意識がどうなっているのかを見つめるチャンスだと思うことのように思います。

変わっていく面白さ、刷り込みは取り払えることを子どもたちに背中で見せていきたいと思います。

 

  1. コメント

    刷り込みについて、帝京大学と北海道大学の研究グループによると、「刷り込みは、動物の発達初期の学習のひとつであり、親からの保護を確実に得るための学習である」とあり、ひよこが親鳥の後を追う光景が浮かびます。刷り込みは、自分自身を守るために、生まれてすぐ本能が発揮されているのだと思うと、刷り込みとは自分自身を守るために行動として表れているのか?と考えさせられます。ただ、ありたい自分に向かうには、これまでにない選択や行動が必要なのだと感じています。日々の小さなことからも大事にしていきたいと思います。

  2. コメント

    「悲観的な人」からすると「楽観的な人」は、甘く、いい加減見えることがあります。確かに、一面は正しいかもしれませんが、その「正しさ意識」で周りを裁き出すと、ちょっと厄介です。まずは、どれくらい「素直に見えているか?!」ということをチェックする必要があるでしょう。悲観的過ぎないか?!楽観的過ぎないか?!その偏りを常に注意したいと思います。

  3. コメント

    ソフトにも発達と個性の2つがありますが、発達は進み方の差はあっても育っていくもの、でも個性の方は直そうとするよりも受け入れたりどう活かすかの方に眼差しを持っていくことの方が大切なように感じます。ある方が言われるようにそれを逆手にとってしまうぐらいの心の余裕があれば本来はどのようなものも活かし合えるのかもしれません。

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