来週の月曜日は、千葉県神崎にある「むかしの田んぼ」で祈年祭(きねんさい)というものを行います。これは秋の新嘗祭(にいなめさい)と対になっているお祀りです。別名で春祭「としごいのまつり」ともいいます。
このとしごいの「とし」とは稲のことを言いますが、五穀が無事に成熟を祈る祭りです。私たちの先祖は、稲作による農の暮らしを政にして国家を健やかに治めてきました。四季の中で春には年穀の豊穣を祈り、秋に豊作を感謝する祭りを行い人々が安心して協力し助け合い仕合せに暮らしていけるようにとみんなで祈り取り組んでいきました。
祭りごとは、政りごとでもあります。むかしの暮らしは常に祭政一致であり、人々が道理に従って物事を整えるために理念を司る人が祭祀をし謙虚に人々のあるべき姿に導き、それをみんなが協力して実現していくという形態をとって暮らしてきました。それがもっとも争いが少なく、平和が続く仕組みとして私たちの先祖は親祖の代より「稲作」というものを選択し、この稲つくりを通して人々に生き方を稲から学ぶようにと諭したのです。だからこそ稲を主食にし、稲作がすべての基本に据えて暮らしを成り立たせていたのです。
つまり私たち日本人にとっての政治の先生は「稲」であるということです。
現代では、お金が増えて物が世界中から入ってきますし養殖をはじめ様々な生産効率をあげてお米を食べる人たちも減ってきています。さらには稲作は政治ではなく、農家の収入源として生産されますから一般の人たちは稲作に触れることもありません。
稲作を通して大切にしてきたことまで失くしてしまうことは私たちがどのように暮らしてきたかを失くすことになります。また稲の先生から学んでいたことが失われれば、先人たちが永い年月をかけて伝承してきた自然の智慧や伝統の叡智も失われてしまいます。
だからこそ、本来はどうであったのかを省みて甦生していくことが温故知新でありその時代を生きる人が次世代へとつないでいく役割と使命だと思うのです。
むかしの田んぼの、「むかし」とは「はじまり」のことをいいます。はじまりを大切にすることが初心を守ることであり、それをつないでいくことです。伝承というものは、先人の智慧を尊び、今の自分がそれを伝えていくことで実現します。
子どもたちがこの先に生き方に悩んだとき、そして道に迷ったとき、正しく遺してあるものがあることで救われる未来があるように思います。だからこそカグヤがこのむかしの田んぼに取り組んでいく意義があるのです。
そして私たちの先祖にとって「祈る」ということは一体何だったのか、ここをこれから書いていきたいと思います。
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「はじまり」が大切にされなくなっており、時の経過とともに、暮らしの変化とともに、あらゆるものが形骸化し、カタチだけで残るか、なくなっていくかになっています。「宗教行事」ですらカタチがどんどん変わっており、その意味もわからなくなっています。カタチは変わりながらも「循環」しているか、それとも「途切れ」てしまっているか、そこを見定める必要があるようです。
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「農民」という言葉に強い刷り込みがあることも問題のように感じます。教育やメディアでは飢饉の際のような特殊事例が多く、また西洋で言うところの農奴のように領主の横暴の犠牲者として搾取され尽くした貧しい者として表現されることが多いように思います。しかし日本における農民は決してそうではなかったことが明らかになってきています。いつなぜそのイメージを植え付けられたのか、その意図に気づいた時、我々の民族の本来の姿が取り戻せるのかもしれません。