人は自分の意識次第で世界観が異なります。この世界が一体どのように観えているか、それはその人の意識次第です。しかしこの意識というものが、すべての世界を見ていますからこの世を生きていくのに大きな影響を与えてしまうのです。
この大きな影響は例えてみるとすぐにわかります。ある人は、この世界を自分にとってよくないものばかりと思ってみていればこの世界への不平不満は募るばかりです。しかし逆に、この世界は自分のとって善いことばかりと思っている人はこの世界は十分足りていて満足しています。
そしてまたある人は、この世界は最初からすべてにおいて完全であるとし宇宙のように存在そのものがあり活かされていると思っている人であればこの世は自分次第ですべて叶うものであると特別な世界を創造していくことができるのです。
つまりは、ある・ないで意識する世界の人。そもそもが存在があると意識する世界の人。この差は、同じ場所にいても世界が全く異なって観える境地にあるということです。
人間は、何をもって先達というのか。そして道の達人というのか。それはもちろん技能もありますが、その意識が完全に一般的な人たちと次元が異なっているのです。この異なりは、観えている世界観が異なるということです。
雨を見てもただの雨ではなくその人は、自然を観ます。智慧を見てもただのそれは智慧ではなく、宇宙そのものを観ます。このように意識が達した人は、居ながらにして無、無にして在、そういう境地の体得があるのです。
私も直観的に機縁や機智を獲得していくタイプですから、観えている世界の異なりはよく感じます。ある時、リンゴが木から落ちて万有引力を悟るように意識は私たち人類の世界を丸ごと変革してしまうのです。
子どもたちの意識を、身勝手な大人が刷り込んで可能性をつぶさないように、子どもの無限の可能性を引き出せるような生き方や会社にしていきたいと思います。次のステージを楽しみたいと思います。
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同じ景色を見ているつもりでも、実は、「まったく違うものを見ている」ようです。それは、「意識」の違い、「覚悟」の違いであり、「豊かさ」の違い、「穏やかさ」の違いでもあるようです。そういう意味では、「今、どんな景色が見えているか?!」「それが、どのように見えているか?!」ということを確認することで、自分の「立ち位置」がわかるでしょう。「豊かさの次元」を見失わないようにしたいと思います。
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子どもたちも今まさに卒園・卒業シーズンであり次のステージへと進もうとしているのだと感じます。物理的な環境の変化により変わることもあれば、内面的な心持ちの変化により変わることもあり、変われども変わらないということもまたあるように思います。季節がゆるやかに移り行き気づけばハッキリと変わっているように、目指す方向への変化を積み重ねていきたいと思います。