物事には必ず物語がついてきます。その物語は、短期的にはわからないものですが長期的になればなるほどその物語の本質が現れてくるものです。
これをご縁ともいいます。
そのご縁は決して偶然ではなく、先祖代々、長い時間をかけて刻まれてきたもので同時に結ばれてきたものです。それを時空を超えて、今の私たちが体験してつながりを確認するとき物語が現れてくるのです。
なぜこの人と出会うのか、なぜこのような体験をするのか、突き詰めて深めていけばその原因は必ず過去の何かに行き当たります。だいぶ前、つまり生まれる前のこともありますから思い出すのは難しいものがあります。しかし辿っていけば、偶然とは呼べないあまりにも不思議なことに巡り合うのです。
まさにここに物語があります。
物語があるということは、ご縁があるということです。だからこそ大事なのは、物語があるということを感じる感性を磨いていくことです。その感性が磨かれている人は、ご縁を大切にします。そしてそのご縁の意味を時間をかけて丁寧に紡いていきます。そして現れた意味に対して素直に従い、結実させていくからです。
良いか悪いか、正しいか間違っているか、メリットがあるかどうかなどは物語においてはたいした問題ではありません。物語があることにこそ意味があり、物語を紡いでいくことこそが人生の意味になる。
一期一会というのは、その時に生まれた言葉なのかもしれません。
引き続き、ご縁を大切にして子どもたちに繋がりを託していきたいと思います。
コメント
司馬遼太郎さんは、「史実を並べただけでは歴史にならない。それを人が語るから歴史になる」と仰いました。同じように、ご縁を並べただけでは「物語」になりません。自分の人生を知るには、ご縁の意味を紡いで「語る」必要があるでしょう。その語る内容は、「創作」ではなく「実感」です。日々の葛藤の変化をしっかり自分に語っていきたいと思います。