花を見て美しいと思う心が人間にはあります。なぜ美しいと感じるのか、そしてなぜ大自然を観て人は心を揺さぶられ感動するのか。心がそう思うのは、そこに確かな宇宙の法則のようなものがあることに気づきます。
この世に生まれてきて、私たちはいのちの価値を知ります。そのいのちの価値は、今を精いっぱいに生きているものによって気づかされます。私が花を見て美しいと感じるのは、今を精いっぱいに生きているからです。
そして百花繚乱の美しさを放つものを観て感動するのが、それがみんなが活き活きと豊かに仕合せに生きている姿を体現しているからです。花が美しいのは、その精いっぱいな姿。
よく私は道端のたんぽぽを観ては足を止めるのですが、それはたんぽぽが太陽に向かって一生懸命その精いっぱいに生きている姿に心を打たれるからです。そしてその精いっぱいな姿はいのちの美しさをそのままに表現しています。
人生は一度きりと知ってはいても、人はあれこれと雑念を持ち、今を生ききることをやめてしまいます。そうやって今を精いっぱい生きていないものは、美しさが翳ってくるものです。どんな境遇にあってもどんな環境であっても、あのたんぽぽのように生きていくことは美しく、私の理想の存在です。
最後に松下幸之助さんはこんな言葉を遺しています。
『今というときは、この瞬間しかない。この一瞬一瞬を精一杯生き切る、その積み重ねが充実した人生をつくり、躍動を生み出すのである』
充実した人生と躍動感、まさに花の生き方です。
花に学び、いのちの花を精いっぱい咲かせていこうと思います。
コメント
岡潔先生は、「すみれの花は美しいなー」という心が「情緒」であり、この「情緒の豊かさ」が日本を豊かにしてきた、と仰っていました。ここには「知識」の入る余地がなく、心が素直に感動しています。「真善美」とも言いますが、「一所懸命さ」というか「精いっぱい」といういのちの姿そのものが「美しい」のでしょう。美しく咲きたいものです。