私の郷里で古民家甦生している聴福庵は、長崎街道沿いの飯塚宿にあります。この街道の宿場町は小倉から黒崎、木屋瀬、飯塚、内野、山家、原田、田代、轟木、中原、神崎、境原、佐賀、牛津、小田、北方、塚崎、嬉野、彼杵、松原、大村、永昌、矢上、日見を経て長崎に至る25宿あり全長228キロあります。
かつてこの長崎街道は鎖国体制を敷いていた日本の中で唯一外国との文化交流や通商の窓口にしていた長崎から西洋の文化や新しい技術などを伝える文明の道として重要な役割を果たした街道だったといいます。長崎奉行やオランダ商館長が江戸往来に利用するだけでなく九州西半の大名が参勤交代のために通い、その他にも多くの学者や文人、象やクジャクなどの動物も通ったことが記録されています。、
具体的な有名な人物としては、オランダ商館関係者は、ケンペル・シーボルト・ツンベルク・フィッセル・レフィスゾーン・ヅーク・ブロムホフ。そして蘭学を学んだ平賀源内・緒方洪庵・高野長英・大槻玄沢・稲村三伯・前野良沢・工藤平助。絵画文人は、司馬江漢・頼山陽・田能村竹田・菅井梅関。幕末の偉人として吉田松陰・坂本龍馬・河井継之助・西郷隆盛・大隈重信・乃木希典・大田南畝。その他にも伊能忠敬・高山彦九郎・林子平・三条実美・種田山頭火がこの街道を往来しています。
異国の動物では、象、キリン、ラクダ、オランウータン、ロイアルト(ナマケモノの一種)、ヤマアラシ、トラ、鷲、孔雀、七面鳥、ヒクイドリ、青インコも往来しています。
ここからもわかるようにこの街道がもっとも特異であったのは、海外からの最先端の物資、文化、学問、技術、文献、優れた人物、それに世界の価値のある情報が常に行き交う重要なルートであったのです。この物資や文化の一つになったお菓子も、砂糖が往来したことでシュガーロードとも呼ばれ、九州のカステラ・丸ボーロ・鶏卵そうめんなどの菓子文化が発展に重要な役割を果たしています。
この歴史の道は、現在まで続いている道でもあります。道は始まりがなくそして終わりはありません。その道を時代を超えて歩んでいこうとする試みは、新しい令和の時代に向けての初心の確認でもあり「道」とは何かといった自分への問いの旅です。
この人生の一つの節目に、自分のルーツ、この郷里に生まれた私の歴史や時代の流れを長崎街道の歩みを通じて学び直したいと思っています。
コメント
道は全国に無数にありますが、「〇〇街道」と呼ばれる道は、その賑わった時代を残してくれています。その同じ道を現在も行き来しており、それは「歴史」そのものでもあるでしょう。この道を先人たちも行き来したと思うと、不思議な感じがします。「過去から未来に続いている道」を味わいながら、今をしっかり歩みたいものです。